お母さんの言葉


●信者さんのおはなし
「お母さんの言葉」

金光教放送センター


 「地獄めぐり」で有名な温泉の町、大分県別府市。66歳の阿部信二あべしんじさんは、この町で有料老人ホームなどの事業所を運営しているNPO法人の事務局長を務めています。
 昭和24年、大分県宇佐うさ市に生まれ、貧しい母子家庭に育った阿部さん。幼いころに度々聞いた、「生きていることが、神様のおかげなんだよ」というお母さんの言葉が、今も心に響いてきます。お母さんは、長唄三味線の名手で、若いころ仕事で中国大陸に渡っていました。丈夫な体ではなかったことから、そこで金光教の信心に出合い、神様におすがりしながら厳しい時代を生き抜いてきた人です。
 そんなお母さんの元に生まれた阿部さんは、生まれて程なく、死の病と恐れられていた結核を患い、結核菌が脊椎せきついを侵す脊椎カリエスにかかりました。物心付いた時には、体を固定するギプスベッドに横たわり、トイレなどの他は、動くことを許されませんでした。
 宴会で三味線を弾いたり、竹細工の内職をしたりしながら、病気の息子を女手一つで育てなければならない厳しい現実。それでも、お母さんは、「この子が生きていることが、神様のおかげなんだよ」と、周囲の人にいつも話すのでした。
 阿部さんは、お母さんのこの言葉を聞く度に、「死んでしまうところを、お母さんの祈りによって神様に助けられたんだ」と思い、母親の深い愛情と慈しみを感じるのでした。そして、背中に負われての教会参拝を重ねる中で、まるで漫画のヒーローのように、神様はいつも自分を守って下さり、生かして下さっているのだと、固く信じるようになりました。
 やがて、通院のために移り住んだ別府市で、念願だった小学校に通い始めます。本当は11歳、6年生でしたが、特別な計らいで2年遅れの4年生になりました。「友達と遊べることがうれしくて、学校はこんなに楽しい所なんだと思った」と、懐かしそうに振り返ります。友達と会えない休みの日は大嫌いでした。
 その一方で、「一緒に食事をすると病気がうつる」というような心ない言葉を投げ掛けられることもありました。お母さんは、そんな阿部さんに、「意地悪を言う人は、きっと何か心に抱えているんだよ。そのつらい気持ちを分かってあげなさい」と話してくれました。阿部さん自身は、神様に守られていると確信していたおかげで、いくら意地悪を言われても平気でしたが、それからは、「気の毒なこの人が助かればいいなあ…」と、子どもながらに、相手の助かりを祈るのでした。
 時は流れ、阿部さんは、東京の大学へ進みます。東京でも、金光教の教会にお参りし、教会の青年会に熱心に参加しました。
 昭和51年、郵政省に入った阿部さんは、学生時代に教会で知り合った恵美子えみこさんと翌年に結婚。3人の娘を授かります。やがてお母さんも呼び寄せて、休みの日などには、家族みんなで教会に参拝する、幸せな日々が続いていきます。
 仕事では、人事を担当した他、有名人を「1日郵便局長」に起用してのPR作戦や、タレントに絵を描いてもらっての絵はがき制作など、様々なアイデアを形にし、高い評価を受けました。
 家庭も仕事も順風満帆。そんな阿部さんに大きな転機が訪れます。53歳の時のことでした。
 いつものお薬をもらっておこうと、掛かり付けの病院に立ち寄った阿部さんは、そこで心不全を起こし、倒れてしまったのです。
 気が付いた時には、体を動かそうにも筋肉が固まって動けず、声も出せなかったといいます。それもそのはず、3週間も意識を失ったままベッドに横たわり、ただただ眠り続けていたのですから。
 妻の恵美子さんに支えられての入院生活は、2カ月弱にも及びましたが、ありがたいことに、何の後遺症もなく、職場への復帰も果たすことが出来たのです。
 退院して家に帰った時、86歳のお母さんが、ほっと安心したような笑顔で迎えてくれました。認知症ながらも、ずっと手を合わせて祈ってくれていたお母さん。その安堵あんどに満ちた表情は、「ああ、今日もこの子は生きている。生きているのは、神様のおかげなんだよ」と、改めてそう語り掛けてくれているようでした。
 「幼いころの結核、そして心不全。またもや、ない命を神様に助けて頂いた」という思いは、やがてお母さんをみとる中で次第に強いものとなっていきました。そして、「助けられた命をどう生かし切るか」ということが、定年退職した阿部さんの大きなテーマになりました。
 ちょうどそんなころ、家族の状況や経済的なことなどを始め、様々な理由で困っておられるお年寄りを、介護支援で支えようというNPO法人が設立され、お誘いが掛かったのです。声を掛けてくれたのは、NPOの代表で、別府時代の幼なじみでもある金光教青山教会の先生でした。
 事務局長に就いた阿部さんは、施設の職員たちにいつもこう話しています。「利用される方々と私たちは、家族です。『この方々が、自分の大切なお父さんやお母さんだとしたら、どんなお世話をするだろう』と考えて接するようにして下さい。そうすれば、心の通った介護が出来るでしょう」と。
 今日も阿部さんは、お年寄りの人たちが、我が家に居るように安らいで過ごすことが出来るようにと願いつつ、事務局長の仕事に当たっています。「生きているのは、神様のおかげなんだよ」と話してくれた、お母さんを思い浮かべながら。

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