無神論者の夫が…


●信者さんのおはなし
「無神論者の夫が…」

金光教放送センター


 澄み渡った青空に雄大な日本アルプス。忙しい日常を忘れさせてくれる信州の大自然の中で、長野県・金光教松本まつもと教会に参拝されている佐藤文子さとうふみこさんにお会いしました。
 71歳とは思えぬほど美しくパワフルで、りんとした真っ直ぐな視線で話される生き生きとした女性です。
 文子さんは、毎日俳句会の指導に出掛け、現在2百人ほどのお弟子さんがいるそうです。また、エッセイ集を出版したり、タウン誌にインタビューの記事を書いておられます。
 文子さんの生まれは九州で、自宅には大きな神棚があり、両親は熱心に金光教の信心をされていました。文子さんも3日に1度は教会にお参りしていたそうです。
 まだ小さいころのことです。家は材木屋でしたが、お父さんは商売があまり上手ではなかったらしく、だまされることもあって、倒産してしまいました。借金取りが自宅に押し寄せ、一夜にして全てを失ってしまったのです。夜逃げするつもりでしたが、教会の先生にかくまってもらうことが出来ました。
 しばらくして、ある信者さんが自分の経営する鉄工所の一角を貸して下さり、材木屋を再開。徐々に立ち直っていきました。最大の窮地を、教会と信者さんに助けてもらった両親は、より一層信心に励みました。
 文子さんが高校3年の時、大学に行くお金が家にあるのか心配して両親に尋ねると、「お金は一夜にして無くなることがある。でも、身に付けた教養や学歴は一生付いて回る。勉強したいなら、学費は心配しなくていい」。そう言ってくれました。文子さんは、このことを振り返って言います。「朝晩自宅の神棚に手を合わせ、祈ってくれていた両親の姿が目に焼き付いています」。
 さて、大学を卒業した文子さんはその後、縁あって今のご主人と出会い、意気投合。結婚し、しばらくは東京暮らしでした。ご主人は金光教のことは全く知らず、「君が信心するのはいいけど俺は無神論者。信心はしない」と言われました。
 結婚してから数年後、ご主人は、生まれ故郷の松本市で通信関係の会社を立ち上げました。文子さんはご主人の仕事がうまくいくように逐一、九州の先生に電話で報告やお願いをしていました。その後、松本でも教会を探し当て、文子さんのお参りが再び始まります。しかしご主人は、「お参りする気はさらさらない。俺は無神論者だ」と言うので強要することはしませんでした。
 ところが、順調に業績を伸ばしていたご主人の会社に不穏な動きが見られます。社長の席を追い出されそうになってきたのです。人間関係が悪くなり、ご主人は悩みました。
 文子さんはそんなご主人を経済的にも支えるため、学習塾を開いたり、また、俳句や執筆を始め、新聞社に投稿すると、原稿依頼が来るようになりました。全てご主人のためでした。しかしご主人の目には、自分がこんなに苦しい時に、妻は好きなことをして遊んでいる、としか映らなかったようです。
 会社でどんどん窮地に追い込まれたご主人は、人間不信に陥り、お酒に溺れました。ついに文子さんに当たるようになり、家に居られなくなってしまいます。文子さんは、当てもなく街の中を歩いたり、車で山の中に逃げ、寒さに震えながら一晩を過ごしたり、遺書を書いたこともあったそうです。でも、ぎりぎりのところで両親の信心を思い出し、「ゼロになることは怖くない。必ず神様が助けて下さり、夫婦関係も良くなる」と信じていました。
 文子さんがそう思い直したころ、ご主人が松本教会にお参りしたことを知りました。文子さんが教会を訪ねた時、先生から、「この前、ご主人がお参りされましたよ」と聞かされたのです。びっくりして家に帰り、ご主人に確認すると、実は夫婦の仲を良くしたい思いで教会を訪ねたのですが、思わず会社でのことを全て吐き出してきたと言うのです。ご主人は、「俺を騙そうとする奴が憎くて仕方がない」と先生に訴えたそうです。すると先生は、「あんたも助からなければならないけど、その人も助からないといけないんだよ」と言われたそうです。その言葉でご主人は目が覚めたと言います。「俺は今まで、自分が助かることばかり考えていた。そいつのことを責める心ばかりで、そいつが助かることは考えていなかった」。
 ご主人の心はその日を境に一変しました。あれほど憎かった人が憎くなくなったのです。それどころか、助かりを願うようになったのです。すると、不思議なことが起きました。憎かった人の行動が変わってきたのです。それから全てが良い方向に動き出しました。
 あれから20数年、ご主人は今も社長として、業界でもトップクラスの業績を上げています。
 あの日、教会の先生と話してから、ご主人は何をするにも神様にお願いしてからするようになりました。そして、文子さんの知らない間に、岡山にある金光教本部へも参拝していました。「境内を歩いていると気持ちが静まるよ」と優しく話してくれます。自宅に金光教の神棚も調えました。
 今は毎朝5時に起き、自宅の仏壇でお経を唱えた後、神棚に手を合わせ、「今日はこういう仕事をさせて頂きます。万事うまくいきますようにお願い致します」と、声に出して拝んでおられるそうです。
 若いころ、「俺は無神論者だ!」と何度も豪語していたご主人は、今や、文子さんよりも信心深い人になりました。「それが私にとって何よりもうれしいおかげです」、そう語る文子さんの穏やかな笑顔が印象的でした。

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