あなたも祈られて生きているのですよ


●先生のおはなし
「あなたも祈られて生きているのですよ」

兵庫県
金光教姫路ひめじ教会
竹部沙矢たけべさや 先生


(ナレ)おはようございます。案内役の大林誠おおばやしまことです。
 もう30年も前のことですが、私、スケートで転んでひじの関節を粉砕骨折し、2、3年間ギプスをつけて過ごしていた時期があるんです。それで、久しぶりに会った方がよく「腕はもう大丈夫ですか」「痛みませんか」と声を掛けてくださいます。私自身はけがのことを忘れているのに、他の方がずっと気に掛け、祈り続けてくださっているんですね。ありがたいなあと思います。
 今朝は、兵庫県、金光教姫路ひめじ教会の竹部沙矢たけべさやさんによる「あなたも祈られて生きているのですよ」というお話です。皆さんも人の祈りを感じてみてください。

 「あなたも祈られて生きているのですよ。」
 10年前、自分の価値観に振り回され、自分を責めてばかりで、本当に生きることさえもしんどかった時に、こんな言葉を恩師から掛けてもらいました。しかし当時の私にはその意味が全く理解できませんでした。
 私は金光教の教会に嫁いで、そこから金光教の信仰を持つ生活が始まりました。人生の途中から出合った金光教。祈るということも分からなかったし、その祈りを私が受けているとは思えなかったのです。
 そんな私が「祈られている」と確かな実感を持ったのは、7年前に長男を妊娠・出産した時のことでした。初めての妊娠。お腹の子がすくすく健康に成長しますようにと、夫婦で毎日祈りました。
 私の嫁いだ姫路教会の朝のお祈りでは、毎日「祈りの言葉」を唱えます。その中に「神様、すべての妊婦さんがつわり軽く母子ともに健康で安産でありますようお願いします」という意味の一文があります。何気なく唱えていましたが、妊娠し、この一文がまさに自分のこととして捉えられた時、初めて祈りが深くなりました。
 臨月を迎えて、いよいよ出産までのカウントダウンが始まった時のことです。
 その日もいつもと同じように「祈りの言葉」を唱えていました。ここまで大きなトラブルなく順調に妊娠を継続できているのは、祈りのおかげだなと思えました。この、祈りというのは、自分が祈っていることもありますが、私が妊娠したことを伝えた、たくさんの人たちの祈りです。
 そんなことを考えていてハッとしました。
 姫路教会では、周りに妊婦さんがいてもいなくても、いつも変わらず、全ての妊婦さんの安産を祈っています。ということは、同じように、知らない土地の知らない誰かが、今日もどこかで、知らない誰かのことを祈っているのかもしれない。そして、私もまた、その誰かに「祈られている」と思えたのです。
 そんな想いの中で迎えた出産。
 出産後すぐ、生まれたばかりのわが子を抱っこさせてもらいました。生まれたばかりのわが子は、想像していたよりあたたかくつやつやでした。手を見ると、小さな手に5本の指があり、小さな小さな爪までついています。足にも左右に5本ずつ指があります。そして目があり、鼻があり、口もある。そして生きているんだと言わんばかりに大きな声で泣く。
 今まで当たり前だと思っていたことに、ありがたいという気持ちが次々湧き上がってきて、自然と手を合わせたくなる経験は、人生で初めてのことでした。
 妊娠・出産を通じて感じたわが子への祈り、そして私への祈り。それは、私の周りの人、さらには私の知らない誰かの祈りなんだなと思えたのです。
 私が知らない誰かのことも祈るように、今日もどこかできっと知らない誰かも私のことを祈ってくれている。そう思うと、私のいのちは「私だけのものじゃないな」と思えてきます。
 わが子が元気に笑ってくれているだけで、ホッとします。私のいのちも同じように祈られ大事にされている。つい、自分に厳しくなってしまう私は、「もっと頑張らないと」「こんな私ではダメだ」と自分を追い込んでしまうのですが、どんな状態の私であっても、どんな過去を抱えていようとも、どんな現実があろうとも、「祈りに支えてもらって生きているから大丈夫」と、まぁるい心になって、今の自分を許してあげられるような気持ちになります。
 祈りは、目には見えません。私が昔、感じていたように不確かなもののように思える時もあります。しかし、つらい時、心が痛い時に、ふと前向きになれたり、ふと心が和らいだ瞬間が訪れる時。それは、誰かの祈りのおかげなんだろうなと思えます。そんな時、私は手を合わせて「ありがとうございます」と心で唱えています。
 「あなたも祈られて生きているのですよ。」
 今、そう言われたら、「はい」と胸を張って答えられます。
 そして私も、「誰かの心がちょっと和らぎますように」と、祈りのリレーをつなげていきたいです。

(ナレ)いかがでしたか。妊娠、出産という体験を通して、自分が多くの人たちから祈られていたことに気づいたというお話でしたね。
 考えてみれば、私たち、祈るということは折に触れてあるとしても、祈られるというのは、あまり意識することがないかもしれません。でも、いろんな人から大事に思われてこそ、ここまで生きてこれたんですよね。その事実にしっかり目を向けて、元気を出して、祈り合い助け合う間柄を広げていきたいものだと思います。

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