●私からのメッセージ
「ハワイの薄暗いバス停で」

大阪府
金光教金岡教会
岩本威知朗 先生
子どもの頃、親や学校の先生から「人を見た目で判断してはいけません!」と言われること、なかったですか。私は時々言われていました。それだけ人の見た目で好き嫌いを判断してしまうところがあったんでしょうかね。
今朝は、大学生の娘が、ハワイでの語学留学中に経験したことを通して、私が感じたことをお話ししてみたいと思います。
「あそこのバス停で、バス乗り換えるの、怖いなあ」
この言葉は、留学中の、ある一場面での娘の独り言です。
娘は、夏休みを利用して英会話力を高めたいと希望し、私たち夫婦も賛成して、ハワイで約ひと月間、語学留学することになりました。現地では大学で授業を受けながら、ホームステイ先の家族や、現地の先生、生徒さんたちとのコミュニケーションを通して語学を学べる充実したカリキュラムでした。
ホームステイ先の家から大学へは、約1時間かけて路線バスで通うことになりました。乗り換えなしで行けるルートもありますが、時間割や予定によって、途中のバス停で乗り換えしなければいけないこともあったんですね。その乗り換えのバス停での娘の気持ちが、冒頭の言葉、「あそこのバス停で、バス乗り換えるの、怖いなあ」だったんです。
そのバス停は、町はずれの人通りの少ない高架の下にあり、周囲にはゴミも散らばってたりしてて、昼間でも薄暗くて不気味な所だったそうです。さらにそこにはいつも、髪の毛もひげもモジャモジャの、身なりの汚い一人のおじさんがいてたんです。そこで路上生活をしているのか、たまたま出会うのか分からないのですが、とにかく娘は、そこでバスを待っているのが、怖くて気持ち悪かったみたいです。
それでも、そこを避けて通うことはできません。留学期間も半ばが過ぎた頃、その薄暗いバス停でバスを待っていた時、娘に衝撃が走りました。いつものおじさんがいるのを確認すると、なんとそのおじさんが、ゴミを拾い集めていたのです。よく見ると、そのおじさんの周辺はゴミ一つなくきれいになっていることに気がつきました。薄暗くて怖いバス停が、一瞬明るくなったように感じて、気持ち悪いなあと思って見ていたそのおじさんのことが、なんだか輝いて見えてきたそうです。
今まで、娘は見た目で、怖い怖いと思っていたのが180度逆転して、あのおじさん、いい人なんじゃないかな、と思えてきた。
一方で、バスから降りてきた乗客が、飲み干したカップやゴミをポイ捨てしていく光景が目に入ったそうです。ところがそのおじさんは、ゴミを捨てる人に声を荒らげて怒るのでもなく、ただただ目の前のゴミを拾っているのでした。
娘は、「私はこれまで一体何を見ていたんだろう」と、ハッとさせられたとのことでした。身なりと雰囲気だけで、勝手に「怖い」「汚い」「嫌だ」と思っていた自分が、恥ずかしく思えた。そして、自分はどうかと。ゴミをポイ捨てすることはなくても、物や食べ物を粗末にしたり、人に対しても自分勝手な批判や言動をしていたんじゃないかと反省させられた、と言っていました。
その日から、そのバス停を怖く思わなくなり、「あっ、今日もモジャモジャおじさん、いてる、いてる」と、親近感をもっておじさんを見れるようになりました。最後の頃には、英語で話しかけてみたいなとの気持ちも湧いてきたそうですが、そこまではできないまま帰国しました。今でもそのおじさんの顔を覚えていて、時々「元気にしているかなあ」と思いを馳せているようです。
娘は、小さい時から、わりと人に対して、好き嫌いが多かったみたいです。でもこの経験が加わってからは、すぐに「嫌だ、嫌いだ」と思わず、誰とでも向き合って接していけるようにだんだんなってきた、我ながら成長させてもらってきた、と言っています。
このハワイでの話を聞いて、私は、薄暗くて不気味なところにいるモジャモジャおじさんを怖いと思うのは当然のことだろう、と思いました。娘を持つ親としては、警戒心を持っていてくれてよかった、と思うほどです。世の中には、警戒心を持って人から身を守らなければならないことも、ないとは言えないからです。しかし、その上で、このたびのことでは、娘が人と向き合えるようになったことへの驚きと、何がそうさせたのだろうか、と考えさせられました。
私が思うに、娘は、おじさんの思わぬ姿を目にしたことで、人の心や行いなど、見た目では分からない大切なことがあると感じたのではないでしょうか。それによって先入観を持たずに人を見ることができるようになったのだと思うんです。
娘の話から、どんな相手であっても、心のどこかで、こうした見方を持っておくことも大切なことだなあと、改めて感じました。留学中のことを通して、娘がこうしたことに気づかされ、成長してくれたように思えて、大変ありがたかったです。
これからも私たち親子共々、人に対して、こちらの先入観や価値観で判断するのではなく、その人の立場に寄り添い、何を思い、考え、行動しているのかを見定める、「心の目」を大切にしていきたいと、願いを新たにいたしました。
