恵(けい)ちゃんが見てる


●私からのメッセージ
「恵(けい)ちゃんが見てる」

兵庫県
金光教三木教会
片島斎弘かたしままさひろ 先生


 おはようございます。兵庫県にあります金光教三木みき教会の片島斎弘かたしままさひろと申します。現在43才、妻と3人の子どもと一緒に、毎日楽しく生活させていただいております。
 家族との日々は、笑顔もあれば、時に涙もあります。そんな中で、私たち家族にとって忘れられない、命の尊さや、家族の絆、そして信仰のありがたさを深く感じさせられた出来事についてお話しします。
 今3人の子どもがいると言いましたが、実は2番目と3番目の子の間に、もう1人、命を授かった子どもがいました。上の子が7才、下の子が3才の時でした。妊娠が分かった日から毎日が新たな彩りで満ちて、安定期まで子ども達には内緒にし、報告の日を楽しみにしていました。検診では毎回エコー写真を見るのが楽しみでなりませんでした。
 しかし、3回目の検診の時、妻から「病院にすぐ来てほしい」と連絡がありました。嫌な予感がしながら病院に行くと、お医者さんから説明がありました。「赤ちゃんの成長が止まり、おなかの中で亡くなっている。早めに処置をしたほうが良い」とのことでした。私はショックですぐには現実を受け入れられず、先生の言葉は、ただ流れていくように感じました。
 妻と私は、「処置」と聞いて、子どもを掻き出すようなイメージが浮かんで、かわいそうに思いました。そのため、妻とお医者さんとも相談し、1週間待って自然に生まれなければ、病院で流産の処置を受けるということにしました。
 そこからつらくて悲しい、長い1週間が始まりました。妊娠が分かってから、妻は、1カ月で5キロも痩せてしまうほどの激しいつわりで寝たきりになっていました。あのつらかった時間はいったい何だったんだ。また、この子が生まれたら、兄妹はどんな感じになるのかな? とか、名前はどうしようかとか、そんな未来を楽しんでいた分、喪失感は大きく、心にぽっかり穴が開いたようで、何のやる気も起こりませんでした。
 しかし、そんな気持ちとは反対に、やるべきことはたくさんあります。毎日の教会の勤めもそうですが、妻はというと、おなかにいる子どもが亡くなっても、流産したというつらさの中で、つわりと戦っていました。流産してもつわりは続くんですね。私は「妻が一番つらいはず」と、必死に苦手な家事と育児をしていました。
 しかし、心に余裕がありませんので、すぐにイライラしてしまいます。子どもが少し騒いでいただけで「うるさい!」と理不尽に怒鳴ってしまうほどでした。怒鳴られた子どもは、目にいっぱいの涙をためました。その涙を見て、「ごめん。怒鳴ってしまって」。そう言うと、子どもも私に「ごめん」と言い、その瞬間、たまっていた涙がポロポロと落ちました。その涙を見て、心がズキッと痛みました。その時、「子どものお世話をして腹を立てることができるのは、生きているからだ。流産した子と、遊ぶことはできないけど、この子たちとは関われる。触れられる。遊べることってありがたいことだな」と思えてきました。子どもの涙を見てズキッと心が痛んだのは、神様が大切な何かを教えてくれた痛みだったんだと思いました。
 そして、もうひとつ気づくことがありました。妻がつわりで苦しんでいた時期、教会の活動や家事、育児をこなすのは本当に大変でした。その経験を通して、妻が毎日どれほどのことをしてくれていたのかを、「大変だな」と思うたびに実感し、今の自分がやりたいことに取り組めているのは、支えてくれる家族のおかげだと気づきました。妻にも子どもにも、心から感謝の思いが湧いてきました。
 流産という出来事の中で、深い悲しみと向き合いながらも濃い1週間を過ごしました。そんな中でひとつ悩んだのが、子ども達に流産したことを伝えるかどうかです。妊娠したことも知らない子ども達を、わざわざ悲しませる必要はないのでは? そう思いました。しかし、流産の処置をする前日、神様に処置の安全をお祈りしていると、「流産したこの子は短い命だったけれど確かに生きていた。そして今、私たちにたくさんのありがたいことを教えてくれている。それはこれからも同じだ。この子の存在を伝えないと、この子は生きていなかったことになってしまう」。こう思わせられ、妻と子ども達に神棚の前に集まってもらいました。そして、「実はお母さんのおなかの中に赤ちゃんがいたんだけど、死んでしまったんよ。その赤ちゃんには会うことができないけど、御霊神みたま様になって家族を守ってくれるからね。赤ちゃんが生まれるって奇跡的なことなんよ。家族でお話ができることも、遊べることも、勉強できることも、けんかできることも全部ありがたいことなんだよ。みんな仲良くしてたら、赤ちゃんはすっごい喜ぶよ。これからもこの子と一緒に生きていこうね」と話しました。
 この話を真剣に聞いてくれた7才の息子は、残念そうな表情を浮かべながらも、「でも心の中で生きてるね。もしかして風になってるのかも。僕、妹と兄妹仲良くするね」。こう話してくれました。その言葉を聞いて、子どもは子どもなりに、受け取ってくれるのだと安心しました。
 その晩、子ども達は妻と一緒に赤ちゃんの名前を付けてくれました。恵みと書いて「けい」。この子は家族にとってのお恵みになる。そんな願いが込められています。
 そして、亡骸なきがらのない中ですが、家族でお葬儀を行い、次の日、流産の処置を受けました。
 それから7年経ちました。新たに授かった子どもも含めて、兄妹の会話の中に、「恵ちゃんが見てる。恵ちゃんが悲しんでる」というような言葉が出てきます。
 恵ちゃんは今も私たちに寄り添って、私たちに働きかけ、見守ってくれている。そう感じています。

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