つながりの誕生


●私からのメッセージ
「つながりの誕生」

兵庫県
金光教出石いずし教会
大林誠 おおばやしまこと先生


 ちょっと昔の話をいたします。そこは兵庫県北部の小さな町、昭和34年の秋のことでした。初産を間近に控えたその母親は、絶対安静を言い渡されて床に臥していました。もともと心筋変性症しんきんへんせいしょうという心臓病があり、それにひどい低血圧と貧血が重なって、無事に出産できる見込みは薄いと見られていたのです。
 そんな状態でも、お産は家でするものとされている、まだそんな時代のことでした。
 そしていよいよ10月6日の明け方、破水が起こりました。汚れた灰色の水でした。しかし、陣痛が始まっても一向に生まれる気配がなく、母親の脈もとぎれとぎれになり、助産婦さんも手の施しようがありません。往診に来た医師も、帰り際に夫の耳元で囁きました。
「お気の毒ですが、奥さんも子どもさんもだめだと思います。何とか奥さんだけでも助けてあげたいと思いますが、おそらく子どもさんは無理でしょう。何か変わったことがありましたら連絡してください」
 医師が帰ったあと、夫は妻に、「心配ない。お医者さんは母子ともに順調だと言われた」とだけ告げて、一人神前に額づくのでした。
 母親は夫の言葉を真に受け、じっと障子のさんに目を向けました。「難産になると障子の桟が見えなくなるほど苦しいものだ」と聞かされていた彼女は、「はっきり見えているから安産だ」と信じ込んでいたのです。
 このままでは母体の心臓がもつだろうかと危ぶまれましたが、その日の午後3時半、どうにか3150グラムの男の子が生まれました。臍の緒へそのおが三重に首に巻きついて、体は青みがかった紫色。泣き声をあげる力もなく、かすかに動いているだけでした。頭は長時間の圧迫で異常に長く変形していました。
 助産婦さんは母体の手当てに必死で、新生児の世話にまで手が回りませんでした。そこで父親は裁縫箱を持ち出し、絹糸で臍の緒を二箇所括って、その中間を裁ちばさみで切りました。産湯を使い、布団に寝かせたのも父親でした。
 ちょうどその時、ある知人が訪れ、赤ん坊が生まれたことを知って、にこにこしながら顔を見に来ました。普通なら「まあ、かわいい赤ちゃん。お父さんお母さんにもよく似て」とか何とか、お世辞にでも言うところでしょうけれども、頭が長くて色の悪い赤ん坊を見た瞬間、その人は言葉を失い、暗い顔で見つめるばかりでした。
 翌朝、父親は目が覚めると真っ先に赤ん坊の息を確かめました。まだ生きていました。そしてその日の午後、赤ん坊はようやく大きな泣き声をあげました。母体もどうやら無事に快復しそうです。父親は神前にひれ伏して泣きました。
 実はこれが、私がこの世にデビューした時のあらましです。「あらまし」というのは、まだまだ詳しく語れるということです。まるで自分の誕生を目撃したかのように、その時の状況が目に浮かぶのです。それは両親から何度も何度も聞かされてきたからに他なりません。
 その父が亡くなって9年、母が亡くなって3年が経ちました。若い頃は、両親が語る私の誕生物語を、またあの話か、という程度にしか聞いていませんでしたが、今になってしみじみと懐かしく思い出されるのです。
 それは、よくぞ生まれて来てくれたという、親の愛情表現だったのでしょう。そしてまた、「おまえは神様に救っていただいた命を生きている。そのことを忘れないでくれよ。そして、神様のご期待に添うような生き方をしてくれよ」という、親から子への切実な願いの表明だったのでしょう。さらに両親は、あの日の感動を月日の経過とともに色褪せたものにしては神様に相すまないという思いから、繰り返し繰り返しありがたさを噛みしめ直してもいたのでしょう。
 今このことを振り返る時、私は、神様に命を救われたこと自体もさることながら、自分の命は自分だけのものではないんだ、大切にさせていただこうと、そう思えるように育てられた幸せを、しみじみありがたく思うのです。
 時折、「自分の人生は自分だけのものだから」というような言葉を耳にすることがあります。それはそのとおりでしょう。一人一人、誰にも代わってもらえない命を生きているのはまぎれもない事実です。でもそうした考え方は、人と人との血の通う間柄を断ち切ってしまう危うさを含んでいるような気がしてならないのです。
 作家の小川洋子さんが、こんな話をされたことがありました。子どもの頃、おじいさんに成績表やテストを見せに行ったら「喜ばせてくれてありがとう」とお礼を言われたそうです。褒めるのではなく、お礼を言うのです。孫が勉強をがんばることがおじいさんを喜ばせ、それがまた孫の喜びとなる。そこには、あなたあっての私という関係で繋がりあう命の風景が浮かび上がります。
 生きづらさに悩む時や、ふと淋しさを感じる時に、自分が生きていることを喜んでくれる人がいるという感覚や、喜んでくれる人がいたという記憶は、どれほど救いになるか知れません。
 家族だけでなく、私たちの周りのいろんな人との間で、あなたがいてこそと、お互いに言い合えるような間柄を、広げていきたいと思います。それが、私たちに託された神様の願いでもあると思うのです。

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