●第1回
「かんべむさしの金光教案内7」

金光教放送センター
おはようございます。かんべむさしと申します。職業は作家でございまして、日本文藝家協会と、日本SF作家クラブの会員になっております。今朝から週1回、5週にわたってお話をさせていただきますので、どうぞよろしく、お願いいたします。
そこで第1回目の今朝は、まず金光教とその教祖さんについて、紹介をさせていただきます。金光教は現在、全国各地に1500ほどの教会がありまして、そのそれぞれで、男性や女性の先生方が毎日、「取次」ということをしておられます。
信者さんでも、初めて参ってこられた方でも、人には誰でも、願い事や悩み事のあるのが普通ですね。そこで先生は、それを個別に聞き取られて、願い事ならその実現を、悩み事なら解決を、神様に祈ってくださいます。と同時に、それについての神様の思いや願いを伝えてくださり、その人にとっての、より良い生き方を教えてくださいます。人の願いを神に取り次ぎ、神の思いを人に取り次ぐ。それでこれを「取次」と称するわけで、金光教の基本になってる働きです。
そしてそもそもこの取次は、教祖さんが始められたことなんですが、教祖さんは幕末時代の備中大谷、今の岡山県浅口市金光町で、農業をしておられた方です。子供の頃から神仏に参るのが好きで、温和で正直な人でしたが、子供を3人亡くすとか、自分も大病をするとか、農家にとっては家族同然の牛が2頭も死ぬとか、様々な苦難も経験されました。
そして、その苦難を通して信心を進められ、神様とお話をさせていただけるようになられまして。さらに、その神様に命じられて、心身両面にわたる数々の修行も経た結果、「世の中には難儀に苦しむ者が大勢いるから、神と人との仲を取り次いで、助けてやってくれ」と、神様からの頼みを受けられたんです。
また、その神様御自身のお名前は「天地金乃神」であると教えられ、教祖さんには「生神金光大神」、大神は大きな神と書きますが、そういう神としての名前も与えられました。ただしこの「生神」は、ここに神が生まれるという意味で、教祖さんは、「誰でも信心を進めれば、そうなれますよ」と教えておられます。
とにかくそんなわけで、教祖さんは、最初は農業を続けながら、のちにはそれをやめて、明治16年に70歳で亡くなられるまで、自宅の一部屋に座って人助けに励まれました。
毎日、朝早くから夜遅くまで、次々に参ってくる人たちの願いや悩みを取り次いでおられたので、食事をまともに取れないことも多かったそうです。でも、健康で太っておられて、色白の顔は常に、「いま風呂から上がったばかり」のように、艶々しておられたそうです。
さて。そこで、ですが。実は私は40代の後半になってから、金光教に御縁を頂いたんですけど、その当初、教典や教祖さんの伝記を読ませていただいて、「穏やかな宗教、親しみやすい教祖さんだなあ」と感じました。たとえば、こんな教えがあります。
「餅を作ったときなど、子どもがくれくれと言うのを、神様に供える前なのにと頭を叩いたりしたら、神は喜ばない。先に子どもにやって、喜ばせてから供えてくれたら、神は喜ぶ」
優しい雰囲気の教えでしょう。ねえ。
また、人に神様の教えや、それを伝えて信心を勧めることについても、押しつけがましさのない穏やかな言葉があります。
「2度まで教えたら、あとは無理に勧めぬがよろしい。今度はむこうから、どうぞお願いしますと言ってきたら、教えてあげなさい」
そうかと思うと、一心に信心するという、その「一心」についての、たとえ話もあります。
「女性が恋をするにしても、身も心も打ち込んでしまうのでなければ、まことの恋ではない。他の男性を見下げるのでも嫌うのでもないけれど、一心になるのはこの人だというのでなければならない」
神様を信じることについて、幕末か明治かにこんな話をしておられたわけで、私は驚き、また「なるほどなあ」とも思っておりました。
好きな話を、もうひとつ紹介いたしますと、明治11年に、教祖さんにもお孫さんが出来ました。そしたら教祖さんは、その男の赤ちゃんを両手で前向きに抱えて神様を拝まれ、そのあと、ちょうど参ってた信者さんに、「うちにも孫ができました」と、実にうれしそうだったそうです。それでその信者さんは、「いかにも大切そうに、熊の子を抱えたようにしておられた」と伝えておられますが、この「熊の子を抱えたように」という情景が好きで、私は折りに触れて思い出すようになりました。とにかく教典にも伝記にも、こんな教えやお話がたくさん収録されてまして、御縁を頂いた当初、私はその穏やかで優しい雰囲気に安心させてもらえてたんですね。
はい。それでは来週は、明治時代に和歌山市で教会を開かれた、澤井光雄という先生のお話をさせていただきます。ありがとうございました。
