●こころの散歩道
第3回「娘と旅と感謝の心」

金光教放送センター
今から2年程前のことだ。中学生だった娘が、「トライやるウィーク」という職業体験の授業で、近くの幼稚園へお手伝いに行くことになった。3歳ごろには、母親の真似をして、幾つものバッグを腕に掛け、背中にはお人形をおんぶ。おもちゃのベビーカーを押して、家中を忙しく動き回っていた娘が、幼稚園で小さい子のお世話をするとは…。月日が経つのは、早いものだ。
さて、その最終日。職業体験の期間を無事に終え、幼稚園から帰ってきた娘は、その日の出来事を、私に話して聞かせてくれた。
「幼稚園のお庭で子どもと遊んでいたら、女の子が1人、『お姉ちゃん、ありがとう。これ、プレゼント』って、木の葉っぱを渡してくれてん。『ありがとう~』って受け取ったら、他の子たちも真似をして、葉っぱとか、石ころとかを、次々と渡してくれるねんで!」とうれしそうだ。私も、娘の笑顔に触れて幸せな気分になった。
「なあ、子どもたちからもらったプレゼントを見せてよ」と頼んだら、娘は、「もう無いよ」と素っ気ない。聞けば、子どもたちが次々に持ってきてくれるプレゼントの扱いに困って、こっそり手を自分の体の後ろに回して、もらった先から次々と、園庭の土の上にそっと戻しておいたというではないか。
思わず、「大事にしてあげんと…」と言い掛けたら、「ありがとうの心は、ちゃんと受け取ってるで」と、私の言葉を遮るように、娘の答えが返ってきた。
「心はちゃんと受け取っている」か…。私は、その言葉の響きに、何か大切なものが隠れているような気がして、思いを巡らせた。
「心を受け取る」と聞いてよみがえった旅の記憶がある。真っ白なサンゴが敷き詰められた通りに沿って、赤い屋根の伝統的な民家が建ち並ぶ美しい集落。沖縄県は八重山諸島、人口300人あまりの竹富島を、1人でふらりと訪れた時のことである。
旅の前夜、偶然つけたテレビの番組で、この島が取り上げられていた。御嶽という神聖な場所を守りながら島で暮らし、祈祷などの儀式をつかさどる巫女さんが取材を受けていた。この巫女さんは、島の神様やご先祖たち、そして、次々とやって来る大勢の観光客への感謝の気持ちを込めながら、毎朝、あの白いサンゴの道を、奇麗に奇麗に掃き清めているという。掃き清めることで、暮らしの場が清らかなものになり、また自らの心も整えられるのだと、その訳を話していた。
そんな思い掛けない形で旅先の予習をした私は、翌日、予定通り島に渡り、水牛に引かれた車に乗って、美しい集落を巡る観光ツアーに参加した。ツアーの途中、「ここが、大切に祈り継がれてきた神聖な御嶽です」と説明されたその場所で、私は私なりに祈りを込めた。
祈りを込めたのは、この島の人たちが、島を愛し、守りながら脈々と世代を重ねて生きてきたという事実と、人々の暮らしを成り立たせ続けてきた天地の営々とした働きに感謝しないではいられない気持ちにならされたからなのだ。「素敵なこの島に、よそ者の私が、押し掛けるようにしてお邪魔しています。素晴らしいこの場所に来させて頂いてありがとうございます」と、ごあいさつせずにはいられなかった。
星の形をした砂で出来ているというビーチ、南国の花々が心地良さそうに風に揺れる集落…。すっかり癒された私は、帰りの船の時間を気にしつつ、汗をかきかき、お土産を買いに急いだ。地元の人に教えてもらったサーターアンダギーがうまいという店だ。4畳半ほどの小さなその店は、数組の先客が居て、混んでいた。大急ぎでお目当ての揚げ菓子を買った私は、支払いの時、店のおばあさんに、この島のおかげで今とても幸せな気持ちになっていること。島で暮らす皆さんが素敵な暮らしを守ってこられたことへの敬意とお礼。そして、生活の場でもあるのに、私のようなよそ者を大らかに迎え入れて下さったことへの感謝を言葉にして伝えた。
おばあさんは、商品を手際良く袋に入れると、「おばあからのお土産だよぉ」と言って、にこっと笑い、キンキンに冷えたペットボトル入りのお茶を特別に添えてくれたのだった。
「私の『ありがとう』という思いは、あのおばあさんを通して、島が受け取ってくれた…」。私は、そんな幸せを感じつつ、高速船に揺られながら遠ざかる島影をいつまでも眺めていた。
ありがとうという感謝の心。大切だとは分かっていても、普段は気恥ずかしさもあって、つい言いそびれることが多いなあと思う。
ありがとうの心を送り、ありがとうの心を受け止める。そんな「ありがとう」のやり取りが広がる場所は、あの南の島のように、幸せな人を増やしていくに違いない。
「私たちが暮らすこの街も、そんな素敵な場所にしたいね」と、いい子に育ってくれた感謝の気持ちを込めながら、高校生になった娘に、照れくさいけど、話してみようかなぁ~。