鎧(よろい)を脱ぎ捨てて


●信者さんのおはなし
よろいを脱ぎ捨てて」

金光教放送センター


 信州は長野県。白樺湖や霧ヶ峰など美しい風景が近くに広がる高原で、ペンション「白樺倶楽部」を経営しているのが、本日の主人公、稲池憲一いないけけんいちさんです。金光教諏訪すわ教会にお参りする、65歳のダンディーな男性です。
 「食べる」という漢字1文字を分解すると、「人が良くなる」と書きます。「ご馳走」という言葉は、馬が走るように食材を求め集めて料理でもてなすことです。稲池さんは、そんな言葉の通り、地元の食材を使って、訪れたゲストの人たちを歓迎します。
 でも、このペンション、他とは少し違うんです。それはペットも家族の一員として迎えてくれるということ。ペットと一緒に食事をしたり、ペットと一緒に宿泊ルームで過ごせたりできるのです。ペット連れの方をもてなすペンションを営むこと、それが幼い頃から大のワンちゃん好きだった稲池さんの夢でした。
 その夢が実現したのが、今から15年前の50歳の頃。勤めていた東京の会社を辞め、いよいよ長野県でペンションを営み始めたのです。憧れのペンション経営でしたが、いざ始めてみると、資金繰りや大学・高校に通う子ども3人の学費の支払いに追われ、台所はみるみる火の車。ついには、クレジットの借金にも手を出し、働けど働けど返済に追われる毎日となってしまったのです。大学に通う娘が友人から、「いつもおんなじコートを着ているね」と言われたり、息子が学費の滞納で先生に呼び付けられたり、親としていたたまれない気持ちになりました。
 そんな時に金光教のご信心によって救われた、と展開しそうなところなのですが、実は稲池さん、金光教の教会には随分と長い間お参りしていなかったのです。小さいころには、両親や祖母に連れられ大阪や福岡にある金光教の教会にお参りしていたそうですが、何か縛られるという感じがしたり、先生に見透かされているという気がしたりして、教会に行くのが嫌になり、以来ずっと金光教とは縁が切れたままだったのです。
 ですから、借金返済に追われる大変な状況の中でも、自ら神様にすがるということではなく、その時は法律の専門家にアドバイスをもらって、少しずつ経済状態は改善されていきました。
 その稲池さんが金光教に再びご縁を頂いたのは、今から5年前のことでした。父親が亡くなって25年のみたま祭りをぜひ金光教の教会でやってもらいたいという母親の願いがきっかけでした。
 長野県内にある金光教の教会を探し歩き、ようやくたどり着いたのが諏訪教会だったのです。歴史を積み重ねた木造の建物、そこに神様がたたずんでいるかのような静かな雰囲気に包まれた中で、稲池さんは次のように感じたと言います。「教会に入った途端、止めどなく涙があふれ号泣しました。気が付くと、のどにつかえていたものがすっと取れたような安らぎを覚えたんです」。それを切っ掛けに稲池さんは、幼いころから何十年の時を隔てて再び教会にお参りするようになったのです。
 「何のために教会にお参りするのか、と聞かれたら、鎧を脱ぐ場所、裸になれる場所だからだと答えます。ただそこに居るだけで安らぎを覚え、満たされていく場所。それが教会なんです」
 そう語る稲池さんは、サラリーマン時代をしみじみと振り返ってくれました。
 大手のアパレル会社に勤め、花形の部署である商品企画を担当。「世の中の流行りは俺が作っている」とさえ感じ、銀座のクラブのどこにでも顔が利く生活。仕事の評価が出世につながるので、とにかく必死で働き、部下をどなり散らす日々。当時はがむしゃらにサラリーマン戦士として戦っていたそうです。
 稲池さんは苦笑いしながら、「『男は外に出れば7人の敵がいる』という言葉がありますが、まさに他社や社内のライバルと戦うために全身を鎧で固めたような姿でした」と打ち明けます。
 結果的に社内の派閥争いに敗れ、脇に追いやられたことが、50歳での退職、夢のペンション経営へとつながっていくのですが、稲池さんは、「私の転機は60歳です」と声を大きくします。父親の25年のみたま祭りをしてほしいという母の願いから金光教諏訪教会にご縁を頂いた5年前の60歳。
 とても厳しかったという父を思い出したのか、少し目を潤ませ稲池さんは言葉を紡ぎます。「思えば、父親を反面教師のように生きてきた自分が、今こうして経済的にも順調に商売を続けさせてもらっている、食べることが出来ているのは、全て父や母が教会で祈り続けてくれたからであり、全てのことが線路の上を歩ませてもらっているような安心感を覚えるのです」
 導かれるように「安心」という大きな財産を授かった稲池さんは、イラチであった自分がつい最近宣言したことがあると少しだけ笑みを浮かべます。
 それは「怒らない」という宣言。サラリーマン時代、思いを伝えたくて怒っていたのですが、部下にとっては怒られたという事実しか覚えていないことが多かったそうです。その経験から、「怒らない」ようにしたとのこと。
 「疲れないですか?」と問い掛けると、「楽!楽! だって神様が働いてくれて、怒りの感情を押さえてくれるんだから」と笑います。
 最後にペンション「白樺倶楽部」の未来像を語ってくれました。「これからは、来てもらう方々の世代と世代をつないでいくようなペンションにしたいんです」。その表情は、怒りを忘れ、焦りもなく、全てを包み込むような安らぎに満ちたものでした。

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