●先生のおはなし
「記憶にはないけれど」

金光教北九州八幡教会
野中正幸 先生
金光教の教師であった私の祖父は、59歳で亡くなりました。祖父は亡くなるまで、私が生まれ育った教会の教会長として、奉仕していました。とても穏やかで優しい人であったようです。
亡くなったのは、今から35年前、私が3歳になったばかりのころです。残念ながら、私は祖父のことを全く覚えていません。1枚だけ、亡くなる少し前、祖父と共に映った写真があります。やんちゃそうに笑う幼い私と、その横で優しく微笑む祖父。しかし、その体はほっそりと痩せて、頬も少しこけているように見えます。
ある日、この写真を家族や親戚の皆と見ながら、祖父の思い出話になりました。ある方が私に、このようなお話をしてくれました。
「おじいちゃんが亡くなって、火葬場にいた時に、みんなとても悲しんでいたんです。59歳、まだまだ若い。どんよりとした雰囲気の中、3歳のあなたがみんなの前で、『ねえ、みんな元気出そうよ、がんばろう』と言ってくれたんですよ。それで、『そうだね、泣いていてもしょうがない。元気出していこう。前を向いていこう』。そう思えたんですよ。これは亡くなったおじいちゃんが、『悲しむのはもうやめて、元気出していきなさい。おじいちゃんは、いつもちゃんとそばにいて、みんなを見守っているよ』と、あなたの口を通して、言って下さったのかもしれませんね」。他の方々も、「そうだったね、元気付けられたね」と、その思い出話は盛り上がりをみせました。
当の私は、3歳の時のことで、全く記憶にありません。皆の前で、「元気出そうよ、がんばろう」などと言ったなんて、自分のことではないような、何だか居心地が悪い気持ちです。私は、「まあ子どもながらの無邪気な発言ですよ」。そう返答し、その思い出話は終わりました。
この話を聞いた時、私は20代後半のころで、会社で働いており、忙しくも楽しい毎日を過ごしていました。自分の好きなように働いて、「自分のことで忙しい」と、先祖の御霊様に手を合わせお参りすることも、ろくにしていない状態です。家族ともほとんど関わらないような生き方をしていました。そんな中、この昔の話が頭から離れなくなり、ぼーっと考える時間が増えていきました。
「みんなは、3歳の時の私の話をあんなにうれしそうにしてくれる。よく覚えているもんだな。幼い私は、みんなを元気付けることが出来た。じゃあ、今の私はどうだろう? じいちゃんはそんな今の私をどう見ているだろう?」。そう考えるようになってきたのです。
それまでは、生まれ育った教会や家族に対して、ここまで育ててくれた恩があるにも関わらず、感謝の気持ちも全くなく、自分一人の力で生きてきたような意識でした。しかしそうではなく、先祖の御霊様や家族とのつながりの中で、様々にお世話になりながら、私はここまで育てられてきたのだ。そのように、教会や家族への恩というものに、その時初めて気付かされたのです。
そしてだんだんと、「私が進むべき道は、じいちゃんのように穏やかで優しい金光教の教師になれるよう、求めていくことではないか。それを皆はずっと待ってくれていたんだ」。そう思うようになりました。そして、時期をみてそれまでの会社を辞め、これからは家族と共に、教会で奉仕していくことを決心しました。
この思い出話の一席が、私の生き方を変えるほどに、大変意義深いものとなりました。そして、昔のことを思い出して相手に感謝を伝えることの大事さを思いました。「あなたのおかげで元気が出たよ、助けられたよ」「昔、あなたがこういうことをしてくれてうれしかったよ」。そういった思い出話をすることです。
時に、自分でも覚えていないことや知らなかったことを伝えられ、大事なことに気付かされることもあるでしょう。感謝された方が、逆に感謝したい気持ちになるようなこともあるのだと感じたのです。
後に、このことをある金光教の教会でお話する時がありました。すると、その教会の先生が、「懐かしい思い出話から、自分を見つめ直すことが出来たことは、決してあなただけの力ではなく、亡くなったおじいさんを始め、みんなが、あなたのことを神様に願って下さっていたからです。様々なお世話を頂いて生かされているのだということを、あなたに気付いて欲しい。そういう神様に向かっての強い願いがあったからこそ、あなたがそのような心になれたのです」とお話しして下さいました。
ハッとさせられました。亡くなった祖父を始め皆が、いつも私のことを神様に願って下さり、その強い願いがあったからこそ、私は自分を見つめ直し、心を改めるきっかけとなったのです。人のことを神様に願うことの大切さを強く感じました。
祖父の姿は記憶にはありませんが、いつも祖父の温かさを感じます。日々、写真の中の祖父に向かって、うれしかったことや悲しかったこと、いろんなことを話しかけます。
「じいちゃんはいつもみんなを見守っているよ。みんな元気だそうね」と言ってくれているかのように、祖父は写真の中で、いつも優しくほほ笑んでいます。
そして私も、「どうぞこれからも、じいちゃんを始め先祖の御霊様が喜ばれるような生き方に、家族皆でならせて下さい」と、願う毎日です。