●こころの散歩道
「『大好き』と『ありがとう』で幸せになる」

金光教放送センター
幸せになるにはどうしたらいいんだろう?
僕は、「大好き」と、「ありがとう」で幸せになれると思う。
僕は、去年の夏、とても幸せだった。今まで一つも出来なかった楽器が演奏出来るようになり、音楽祭に参加出来たからだ。
僕は今48歳。妻と、中学生の長女、小学生の長男がいる。12歳の時から、大好きな歌手がいて、僕の人生の思い出にはどれもバックにその歌手の曲が流れている。いつも、その歌手の歌を家や車の中で聞いたり、家族や友人とカラオケで歌ったり、ともかく大ファンなのだ。
それまで楽器は何一つ出来なかったが、2年前突然、「1曲でもいい、その歌手の歌をギターで弾き語りしたい」と思い立った。
そして、駅ビルの文化センターの「はじめてのギター」という教室に通い始めた。まさに「四十の手習い」である。
確かに、年を取ってから、習い事をするのは、それまでの経験が土台となり、新たな発見にも大きな喜びがあり、有意義なことなのかもしれない。若い時からずっと憧れていたことを習い始めるというのは、久々に心ときめく瞬間だった。
教室に通って3カ月目。ちょうど、基礎を一通り教えてもらい、次のクールを受けるかどうかという時だった。
時々、ストレス発散に飲みに行くカラオケバーがあるのだが、その店のマスターが、「ギターを教えてあげようか?」と声を掛けてくれた。マスターはプロ並みにギターがうまくて、お店で生ギターで歌ってくれていた。「ぜひ、お願いします」と即刻、返事をした。
マスターは僕の好きな歌手の歌を何曲か教えてくれた。いくつかのコードを覚えれば、弾ける曲だ。楽しくて仕方がない。毎週、金曜日の夕方5時、お店が開く前に1時間教えてもらって、何とか弾けるようになった。
家で家族にも聴いてもらうのだが、「パパ、3曲だけにしてね」と渋々聴いてくれる。家族にとっては、習いたての下手なギターを、ジャカジャカかき鳴らして、だみ声で聞かされるのだから、たまったものではなかろう。まるで漫画に出てくるガキ大将が「魅惑のリサイタル」と称してみんなの前で声を張り上げる、あの構図とそっくりだ。
そこで、「聴いてくれてありがとう」と、感謝の言葉を添えて約15分のステージは終わる。
そんなある時、町内会の掲示板に野外音楽祭の参加者を募集するポスターを発見。自治体が地元の大きな公園で開催するらしい。「初心者大歓迎! 音楽に貴せんなし」と書かれている。
清水の舞台から飛び降りる気持ちでエントリーし、2倍の難関を乗り越えて、5分枠で音楽祭に出演することが決まった。
それからまたマスターと猛特訓が始まった。5分間、1曲に絞って、ギターと歌の特訓である。マスターが手本を弾いて、僕がそれに続く。スマホで録画し、再生して弱点を克服する。右手のピックの使い方が難しい。家に帰ってまた練習。マスターから、「歌手のまねをするのではなく、君の素直な歌声と弾き方でやってごらん」とアドバイスを受け、それを毎日繰り返していたら、ある時、ふっと、「ああ、この感じなのか」と悟るような時が訪れた。奇麗な音色になったのである。今までのジャカジャカではない、ふに落ちる音が出た。「ああ、この音だ!」と。
そして音楽祭本番。家族も、友人、知人も応援に来てくれた。緊張しながらも5分間、1曲、思い切り歌った。拍手と声援を頂いて、とても気持ちよかった。「みんな、聴いてくれてありがとう」と締めくくった。通り掛かりの見知らぬ青年も、僕の歌っている曲を口ずさんでくれた。
大好きな歌手の曲を、自治体の音楽祭で、青空の下、熱唱!この感激は、今まで体験したことのないものだった。
それは、色んな方にお世話になって実現した。憧れの歌手にも、ギターを教えてくれたマスターにも、辛抱して演奏を聴いてくれた家族にも、音楽祭の場を設けてくれた自治体にも、見に来てくれた友人、知人にも、「ありがとう」とお礼を言いたい。
去年の夏は大好きなことに挑戦して、僕の人生の新しい扉が開いた気がする。家族や周りのみんなにも喜びの輪が広がった。お世話になった方々に、「ありがとう」と感謝出来ることも幸せなことだ。
「大好きなこと」と「感謝」で幸せな夏が過ごせたことを、神様に御礼申し上げたい。
年を取っても新しい習い事をすることは遅くはありません。どうか、皆さんも「好きなこと」に挑戦して、お世話になった方々に「感謝」をして幸せになって下さい。
