●ラジオドラマ「ことの葉じんわり」
第8回「腹立ち心をお供えする」

金光教放送センター
登場人物
・範夫 40代
・妙子(その妻) 40代
・純一(トラックの運転手) 22歳
(秋の訪れを現す虫の声)
範 夫:柿食えば…鐘が鳴るなり…(グーッと鳴る、範夫の腹の音)いや、いや…これは俺の腹の虫の音…食欲の秋というのは、本当なんだなぁ。…あ、そうだ。死んだおやじは、栗が大好物だった。おーい、妙子―ッ!
妙 子:何ですか、あなた。
範 夫:明日、栗を買ってきてくれ。お供えだ。上等なのを。
妙 子:上等な栗。分かりました。
(ナレーション)
日頃から信心深い範夫さんは、神様へのお供え物を絶やしたことがありません。そこで、妻の妙子さんが次の日に早速栗を買い求め、お供えをしました。ところが…。
範 夫:な、何だッ。この穴はッ。…あ、虫、虫が食っているじゃないか!
妙 子:安かったのよ、でもおいしそうよ。虫だってよく分かってるんですよ。
範 夫:「上等な栗を」と、言ったはずだ。神様に、申し訳が立たない。死んだおやじにも叱られる。悪いことが起きたらお前のせいだーッ!
(ナレーション)
さて、次の日になりました。
(垣根壊れる)
妙 子:あ、あなた、大変、うちの垣根が…。
純 一:あ、あの…す、すみません。すみません…
範 夫:…な、何だ、俺んちの垣根が…。
純 一:小学生が乗った自転車を、とっさによけようとしてうっかりぶつかってしまって…。
範 夫:オイ、この垣根は庭いじりが大好きだったおやじが、腕の良い職人に頼んで特別にこしらえてもらった、大切な垣根なのだ。それを、こんなにめちゃくちゃにして…。
妙 子:あなた…この際だから、新しく頑丈なコンクリート塀に換えましょうよ。
範 夫:と、とんでもない! お前には、おやじの気持ちが分からないのか! そうだろうな。虫食いの栗を、平気でお供えしたお前になど分かるはずもなかろう。おい! 運転手、元の通りに直してもらおう。
純 一:は、はい…。あの…いかほど?
範 夫:(ズバリと)100万!
純 一:えッ、100万円!? 僕の安月給じゃとても!
範 夫:それなら、おやじさんに払ってもらうんだな。
純 一:父は、死にました。小学校の卒業式の直前に病気で…。母が、必死に働いて僕を育ててくれましたが…4年前、とうとう病気にかかって…それで僕は仕方なく大学を中退して免許を取り…トラックの運転手に…。お金は必ず働いてお返しします。お願いしますッ、お願いしますーッ。
範 夫:(心の声)俺のおやじが死んだのは、つい3年ばかり前のこと…小学校から大学の卒業式にまで、いつも仕立て下ろしの真新しい背広を着てうれしそうに参列してくれたっけ…。大学の卒業式の晩には、免状が入った筒を神棚に供えて何度も、何度もかしわ手を打って…あーあ、俺は幸せ者だったんだなぁ。そんな幸福な俺に引き換えこの青年は…(声に出して)ウウッ、ぐすん。
妙 子:あなた、泣いてんですか?
範 夫:…そうか。…分かった。働いて少しづつ返してくれ。
純 一:あ、ありがとうございます。
(ナレーション)
彼は連絡先を告げ、何度も頭を下げて、帰っていきました。
(門扉に車がぶつかるけたたましい音)
妙 子:(表に出て)た、大変! あなた、大変ッ!
範 夫:な、何だ。朝っぱらから…。
(ナレーション)
すっかり元通りになった垣根を眺めて、ご満悦の日々を過ごしていた範夫さんでしたがひと月後、今度は門扉を壊され、あげくに運転手にも逃げられてしまいました。
範 夫:見てみろ! お前が神様に虫食いの栗をお供えしたばかりに、今度は門を壊された。
妙 子:いいえ、何かといえば、すぐに、カッカとなるあなたのその心、神様が、「何とかしろ」とおっしゃっているに違いないわ。…そうだ! あなたの「腹を立てる心」を取り出して、リボンでもくくって、試しに神様にお供えしてみたら?
範 夫:バ、バカな!
(ナレーション)
結局、妙子さんの「試しに」という言葉に促されて、範夫さんは、半信半疑で「腹立つ心」を、神様にお供えしてみることにしました。…すると、どうでしょう…。「腹立つ心」が、あの「虫食いの栗」のようにも見えてきたのでした。
範 夫:…オッ、2つ並んでいるな…虫食いの栗と「腹立つ心」…ああ、こんなにいやらしいものを、神様にお供えしたりしてはいけないな。
範 夫:(心の声)
車をぶつけて逃げていった人も、今頃、仕事も手に付かず悩んでいるかも…可哀想に。そうだ! 祈ってやろう。
妙 子:あ、あなたーッ。警察から連絡が! 逃げた人が自首してきたんですって。
範 夫:…そうか。良かった、良かった。
妙 子:ごめんなさい、あなた。虫食いの栗なんてもう絶対にお供えしませんから。
範 夫:いや、いいんだ。俺も悪かった。今度腹を立てたら…。
妙 子:…腹を立てたら?
範 夫:今日はよく寝て、明日また考えてみよう…そう思っているうちに、いつか腹立つ心もなくなってしまうだろうよ…ハハ、ハハ…ハハハハハ…。
