●ラジオドラマ「ことの葉じんわり」
第4回「当たり前は当たり前?」

金光教放送センター
登場人物
・邦彦 (民宿経営)
・初江 (邦彦の嫁)
・妙 (アルバイト)
・美智子 (客)
(山鳥鳴く)
妙 :旦那さーん、ラジオで言ってましたよ。「今年の夏は天候不順」って。
邦 彦:弱ったなぁ。山開きも済んで、これからが稼ぎ時だっていうのに。
妙 :山登りのお客さんが少なくても、バイト代は払って下さいよ。
邦 彦:分かってるよ。
(ナレーション)
山好きの邦彦さんと初江さん夫婦が、登山客のための民宿をふもとの村に開いたのは、今から10年ばかり前のこと。経営はうまくいっていましたが、昨年の冬、初江さんが病気にかかり、治療のかいもなく他界。今では、邦彦さんが1人きりで、夏の忙しい時期だけはアルバイトの妙ちゃんを雇い、細々と経営を続けているのでした。
妙 :(OFF)もう、戸締まりをしちゃってもいいですか、旦那さん?
邦 彦:(宿帳をめくる)いや、予約が1人入っているんだ。…島原、美智子さん。26歳…
妙 :キャンセル。決まってますよ。
(戸開く)
美智子:こんばんは。
邦 彦:あ、いらっしゃーい。お待ちしてました。
(戸締めて)
美智子:こんなに遅くなってごめんなさい。
妙 :(不審気に)1人で山に? そんな靴で。
美智子:このお花、お水につけといて頂けますか?
邦 彦:奇麗なバラの花ですねえ…さ、どうぞこちらへ。
(朝、すずめの声)
美智子:おはようございます。
邦 彦:夕べはよくお休みになられましたか?
美智子:え、ええ。
妙 :はい、バラの花。これを持って登山するんですか?
美智子:…好きだったんです、バラの花。
邦 彦:…え?
美智子:彼。1年前の今日、この山の頂き辺りで遭難して…。
邦 彦:それではあの方の…それでこの花を持って…。
美智子:待っててくれてるはずです。じゃあ…。
(トイレ掃除の音)
邦 彦:「トイレは特にキレイにすること」…死んだ女房がいつも言ってた。さぁこれでよし! フウッ、あれ?ナレーション 掃除を終えたお手洗いの柱に、以前に妻の初江さんが買ってきた一輪差しが掛けられていて、そこには真っ赤な大きなバラの花が生けられていました。美智子さんが1輪だけ忘れていったのを妙ちゃんが見付け、飾ったのでした。
邦 彦(心の声):…初江、お前はよく野山の花を摘んできてはこれに差してたな。病に倒れてからはそれどころではなくなって…(涙があふれる)…(トイレットペーパーで鼻をかむ)。チ、チーン。あ、トイレットペーパーが残り少ない…妙ちゃんに買ってきてもらおう…しかしすぐに無くなる…いっそ食べた物を出したりしなきゃいいんだけど…。
初 江:…あなたー。あなたーー。
邦 彦:(ハッとなって)誰? 初江か?
初 江:(しみじみと)…毎日、息をしたり…ご飯を食べたり…当たり前だと思っているでしょう? でも、違うの。当たり前のことなんて、何一つないのよ。
邦 彦:(つぶやく)…毎日、当たり前だと思ってご飯を食べたり…用を足したり…。…当たり前は、本当に当たり前なのだろうか…。
(雷鳴、雨の音、突然激しく)
邦 彦:あ、雨! (不安気に)島原さん、まだ戻ってこない…心配だな。よし! 妙ちゃん、かっぱ、それと登山靴! 早く!
妙 :はい!
(風雨の音)
美智子:雄一、雄一さぁーん!
美智子:あたし、来たのよ。分かる?(風雨たたきつける)あッ、息が吸えない…く、苦しい!
邦 彦:島原さーん! どこですかー?
美智子:(雨風さらに強く)雄一さん、雄一、さーん…。
邦 彦:あ、いた! 大丈夫か? し、しっかりー!
(小鳥のさえずり)
妙 :旦那さん、目を覚まされましたよーッ。
邦 彦:良かった! …島原さん…。(後は言葉にならない)
美智子:山の中で息が出来なくてもう駄目だと思った時、どこからか雄一さんの声が聞こえてきて…。
邦 彦:雄一さんの?
美智子:「生きろ! 生きろ!」と強く――。
邦 彦:実は私も今朝方、死んだ女房のことを考えていたら、女房の声が聞こえてきて…。
美智子:…奥様の?
邦 彦:いさめられました。当たり前のことなんて、何一つないんだって。息を吸ったり吐いたり…当たり前に生きていられることに、感謝しなければいけませんよね。
美智子:当たり前に生きていられることに…。
邦 彦:例え相手がこの世にいなくても、心はしっかりつながっているものなのです。雄一さんは、あなたの胸の中にいつもいらっしゃる。雄一さんの分まで強く生きて下さい。
美智子:…(ワッと泣き崩れる)
(ナレーション:邦彦)翌年、バラの花を持った美智子さんが、再び訪れてくれました。「当たり前に生きられること」に感謝出来るようになった彼女は、別人のように明るく変わっていました。
