父の匂いの中で


●先生のおはなし
「父の匂いの中で」

金光教川西かわにし教会
平本光司ひらもとこうじ 先生


 ふと懐かしく感じる匂いが、皆さんにはありますか?
 雨上がりのアスファルトの匂い。浜辺の潮の匂い。桜並木を通る風の匂い。ずっと開けていなかったタンスの匂いなど。
 私は、父の匂いを感じると、2年前に亡くなった父の優しさに包まれてるような温もりを感じます。
 私は今年で金光教の教師になり、2年が経ちます。教会で生まれ育ったのですが、父に全て任せて、手伝うこともせず自分の人生を謳歌おうかしていました。そんな中、父の病気が発覚しました。いつかは父の跡を継がなければならないとは思っていました。その「いつか」は遠い未来のことで、いざ、目の前にやって来ると、何の覚悟も準備も出来ていませんでした。
 「余命宣告された父を喜ばせたい」
 その一心で金光教の教師になる決意をし、1年間、岡山にある金光教本部での修行に入りました。神様のことなど、全く分かりません。
 「どうか、父の病気を治して下さい」
 毎日祈っても祈っても父の病気が快方に向かうことはありません。神様に祈っても何も変わらないのなら、ただの時間の無駄だと感じることばかりでした。そう思っている時、1通の手紙が父から届きました。その中にはこう書いてあったのです。
 「起きてくることに一喜一憂するのではなく、起きている事柄をどのように料理するか、腕の見せどころと思って取り組むことが必要なようです。神様から与えられた材料をカレーにするのか、シチューにするのか、煮物にするのかは、こちらの心次第ですから、いかようにも料理出来ますね」
 そして、この手紙はこう結んでありました。
 「信心は喜びを見付ける稽古です。起きること全て命ありてのことですから、どう道を歩ませて頂けるのか楽しみでありますね」
 私は、自分勝手な祈りの中で神様を見失っていたのです。すぐさま教主金光様のところにお参りに行きますと、金光様は、「今まで何事もなく御用されたことにまずお礼を申さなければいけませんよ」とお話し下さいました。目からうろこが落ちました。父が病気になってからは、お願いばかりで、お礼なんてしたことがありませんでした。
 父は、「病気のおかげで、息子が教会の跡を継ぐ決心をしてくれた。そう考えると病気に感謝しないと駄目だ」と懸命に治療に当たりました。その姿を見て、私も毎日お礼をさせてもらう稽古、そして苦しい中から喜びを見つけ出す稽古を始めました。
 ある時、父に、「私が修行から帰って来たら、ああしたい、こうしたい」と自分の思いを話したことがありました。その時、父は病室のベットに腰掛けて、笑いながら、「お前の思っていることがわしの思っていることや」。そう言ってくれました。
 しかし、父の病状は悪化し、私が修行を終えて教会に帰ろうとする2カ月前に亡くなったのでした。「あと少し。どうか、それまでは…」。その願いもかないませんでした。
 喜びを見付け出す稽古と言っても、そんな中で喜びなんて見付けられる訳がありません。父が亡くなったことに納得が出来ず、どこかで祈りなんて無力なものだと思ってしまい、なかなか稽古は進みません。
 父の葬儀には、仲間の先生方はもちろんのこと、ご近所の人、友人、たくさんの方が来て下さいました。近所のお坊さんは、「私には祈ることしか出来ません。宗派は違いますが拝ませて頂けますか」と木魚を持って教会まで来て下さいました。ご近所の歯医者さんは、「最後に歯を奇麗にさせて下さい」と、教会まで来て、父の歯を見て下さいました。思いも寄らない、ありがたい光景だったのです。
 その時、「人間、命の価値は長い短いではなく、どう生きるかが大事なんだぞ」。最後にそう教えられた気がしました。
 そして、私は無事に修行を終え、教会に帰ってきました。何をどうしていいのか分からないことばかりの毎日です。誰かに相談することも出来ません。「父さえいてくれたら…」。その思いは日に日に募っていきました。
 そんなある日、いつも通り朝のお祈りをしていました。何も変わらない、いつも通りの1日の始まりです。しかし、その日は違っていました。お祈りを終え、その場を立ち去ろうとした時、どこからともなく父の匂いがしたのです。気のせいではなく、はっきりと。後ろを振り返り確かめましたが、誰もいません。次の日も、また同じ匂いがするのです。そんな日が4、5日続きました。
 確かに父の匂いです。出掛ける時には、必ず付けていた父のお気に入りの香水のような匂いです。「ちょっと付けすぎじゃない?」って思う程、私はその匂いがあまり好きではありませんでした。その匂いが今、私を包み込んでくれているのです。
 そしてその時、確信しました。人は死んで終わりではない。御霊みたま様として、私たちを見守り一緒にいてくれているのだと。
 悩んだ時、つらい時、いつも父の写真に向かって話をします。父は、「おまえの思っていることが、わしの思っていることや」と、あの時のように笑顔で答えてくれている気がします。
 私は父に抱かれて、日々教会で奉仕させて頂いています。父に恥じない生き方をしなければいけません。
 その匂いは優しく、温かく、そして、時に厳しいものでもあります。穏やかにそよぐ春風のように、今日も、私を包み込んでくれているのです。

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