いいこと、いっぱいあるから


●信者さんのおはなし
「いいこと、いっぱいあるから」

金光教放送センター


 磐梯山を仰ぎながら、猪苗代湖沿いに車を走らせていくと、今も美しい鶴ヶ城のある会津若松市に到着しました。ここの伝統工芸、会津漆器職人の花泉仁はないずみひとしさんは、58歳。包容力のある、優しい笑顔のお父さんです。その笑顔を見ると、これまで波乱の人生を歩んでこられたとは、とても思えません。
 仁さんは、41歳の時、離婚しました。長女を妻が引き取り、当時小学3年生の長男と幼稚園の年長だった次男を仁さんが引き取りました。
 親子3人の暮らしも落ち着いてきた、仁さんが47歳の時でした。いつものように子どもたちを学校に送り出し、慌ただしく片付けをしていたその時、心臓にグッと痛みを感じました。でも、痛みはすぐに治まり、職場へ出掛けました。その話を聞いた社長は、とにかく病院に行くよう促しました。すると、心臓の血管が1本でも詰まっていたら一大事なのに、それが、3本も詰まっていたことが分かったのです。その後、より医療技術の高い病院を紹介され、トントン拍子に、30日間の入院予定で、手術を受けることに決まりました。
 仁さんは、仕事を30日も休むとなると、お金のこと、子どもの世話のことが不安で、お先真っ暗な気持ちになり、社長に相談しました。すると、社長が、「考えてもみろ。人生のうち30日くらい休んだからって、大したことないって。体を元気にして、戻ってこ!」と後押ししてくれました。この言葉が、仁さんの転機になりました。
 花泉家は、祖父母の代から熱心に金光教の信心をしていましたが、仁さんはこれまで自分は不運なことばかり、と思うと素直になれず、信心していませんでした。それでも両親は、一度も信心を強要したりしなかったそうです。
 でも、今回ばかりは、社長の思い掛けない言葉やトントン拍子に入院や手術が決まったことに、仁さんは、両親の祈りと神様の大きな働きを感じました。難しい手術も経過は順調で、退院したその足で、仁さんは、教会に参拝し、神様に素直にお礼が言えました。その後も、教会に参拝するようになり、先生からお話を聞くうちに、「あの時、自分を救ってくれた社長の言葉は、神様からの言葉だったのかもしれない」と思うようになりました。
 そして、2011年3月11日、あの大震災があったのです。仁さんの一家は幸い何の被害もなく、無事でした。しかし、長女が、宮城県の南三陸町に嫁いだことを聞いていましたので、安否が気掛かりでした。毎日報道される震災のニュースを聞いては、娘のことを考えると居ても立ってもいられず、ひたすら無事を祈っていました。
 震災から3日後、「お父さん」と電話の向こうから懐かしい声が聞こえてきました。それは、離婚後初めて聞く、紛れもない長女の声でした。家は津波で流されたけれど、夫も娘も皆無事で、近くの体育館に避難していることを聞きました。
 すぐにでも行きたい気持ちでしたが、あらゆる道が寸断され、それは不可能なことでした。やっと娘と再会出来たのは、4カ月後、娘家族の仮設住宅入居が決まったころでした。離婚後一度も会うことのなかった長女に、そして、3歳の可愛い孫のひなたちゃんに会うことが出来ました。皮肉なことに震災が再び親子の縁を結び付けたのです。それから、娘家族との交流が再開しました。
 そして、震災から、1年目の冬。朝早く電話が鳴りました。
 「ひなたが死にました…」
 あまりの衝撃に何のことか理解するのに時間が掛かりました。ひなたちゃんが肺炎を起こし、救急車を呼びましたが、仮設住宅は皆同じで目印がなく、到着するのに時間が掛かりました。さらに医療体制が整っておらず、小児科が無いという理由でどこの病院に行っても断られ、最終的には仙台の病院に搬送されましたが、時すでに遅し、ひなたちゃんは息絶えたということです。
 仁さんは、持って行き場のない怒りと悲しみが込み上げ、娘のことを思うとたまらず、教会に参拝し、思いのありったけを神様にぶつけました。その時、仁さんは、ハッとしました。
 「おやじと同じになったな」
 実は、仁さんの父親も、娘の子を病気で亡くしているのです。当時、仁さんは、父親がそれでも何にも言わずに、ひたすら教会に参拝して、淡々といつもの生活を送っている姿に、「神様に祈ってたって死んだら何にもならない」と冷ややかに見ていました。でも、今、自分が父親と同じ立場になって、初めて父親のつらさ、悲しさ、そしてその中でも神様にすがっていくしかないという思いを実感しました。そして、「その親の祈りの中に、自分もいたんだ。こんなにも祈られていたんだ」ということが分かり、泣けて泣けて仕方がなかったそうです。
 仁さんは娘に言いました。「金光教の神様はな、神様の方から、『氏子あっての神』と言って下さってる。試練はあるけど、乗り越えるだけの力は下さるから」。
 これからいいこといっぱいあるからという、お父さんから娘への精いっぱいの言葉でした。
 ずっと苦楽を共にしてきた息子たちも成長し、長男は、地元で就職して父親と一緒に暮らす道を選び、次男は、遠く離れながらも父や兄を気遣っています。
 子どものことを思う親、親のことを思う子どもたち。目に見えぬ深い親子の情でつながった花泉さん親子。会津若松で、何もかも包み込む豊かな大地と、仁さんの笑顔が印象的でした。

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