賜った命


●金光教教務総長・年頭放送
「賜った命」

金光教教務総長きょうむそうちょう
岡成敏正おかなりとしまさ 先生


 皆様、明けましておめでとうございます。平成26年の新年を、共々にお迎えすることが出来ましたことを、心よりお慶び申し上げます。
 また、私どもにとりまして、本年は、金光教の教祖金光大神こんこうだいじん様がお生まれになって200年という記念の年に当たり、一層にありがたいことと御礼を申しております。
 さて、私どもは、その金光大神様のみ教えを頂いて、様々なおかげを頂いておりますが、そうした教えを伝えられた人の中に、山本定次郎やまもとさだじろうという方がいます。
 定次郎師は明治9年、22歳の時に、初めて金光大神様のもとへ参拝されました。その時、定次郎師がまだ何も話さないのに、金光大神様から「人間は、どうして生まれ、どうして生きているかということを知らねばなりませんなあ」と話し掛けられたのです。
 定次郎師は、最初「何を言おうとされているのだろうか」と思いましたが、お話を聞くにつれ、次第に納得させられ、最後には「その時の天地のお恵みについてのみ教えは、一言一言が胸に突きささるようにこたえて、大変に感激した」と、振り返っておられます。
 「人間は、どうして生まれ、どうして生きているのか」
 私は、小さい頃から、金光教の教師であった父と母から「あんたはねえ、おかげを頂いて生まれてきたんぞ」と言われてきました。
 私は大変な難産で生まれ、生まれても、「おぎゃあ!」と泣かなかったそうです。泣かないということは、息をしません。すぐにお医者さんを呼んで手を尽くしてもらいました。お医者さんは「もう駄目だ」と言いましたが、それでも両親は必死で神様にお願いをしてくれ、その間、お手伝いに来ていた方が、諦めずに私の体を温めていると「おぎゃあ!」と泣き出したそうです。
 両親はこの話をもとに「おまえは、そうやって命を頂いたんじゃ。おかげを頂いて生まれてきたんぞ」と、繰り返し言うのです。しかし、そう言われても、私には、自分が生まれた時のことは分かりません。ところが、不思議なもので、自分の子どもを授かってみて、両親の言葉に込められた意味や思いの深さが分かるようになりました。
 私は、現在、28歳の長女を筆頭に、長男、次女と3人の子どもを授かっています。その子どもたちが生まれてくる時にはいろいろなことがあり、命が誕生するということは大変なことだと実感しました。やはり、人間の力を超えた大きな働きを頂いて生まれるのだと思っております。それで私も、子ども一人ひとりに、事あるごとに「あんたは、おかげを頂いて生まれてきたんぞ」と話さずにはおられないのです。
 ある時、私が、末の娘に、生まれてきた時のことを話すと、娘から「おかげを頂いたのは、お父さんでしょ!」と切り返されました。考えてみると、本当にそうです。「我が子がおかげを頂いて生まれてきた」と実感させられたのは、親にならせてもらえた私自身であります。そこで、改めて親の心を分からせられたのであります。
 ところで、信心をしている人だけが、おかげを頂いて生まれてきたのかというと、そうではありません。金光大神様は「この天地の間に住む全ての人が皆、神様のおかげの中で生まれてくる」と、教えて下さっています。また「天地の間に住む人間はみな神の愛しい子どもである」と教えられております。
 私は、このような教えを聞かせてもらいながら育ちました。そして今、この世界中のすべての命が、神様のお働きである天地の恵みを頂いて生まれ、育まれていると、思わせられております。
 だからといって「そのことを知らなければ、生きていけない」とは言いません。しかし、このことが腹入れ出来れば、たとえ、人生の困難に出遭っても、それを乗り越えていくための生きる力が生まれ、そこに新たな世界が開かれてくると思うのであります。
 私たちは、良い人生、すばらしい人生を送りたいと願いながら、喜怒哀楽の人生を歩んでいますが、その命は、天地から賜った命であります。しかも、その命が、毎朝、目を覚ますことが出来て初めて、嬉しいことや哀しいことの一日が始まるのです。このことを、金光教の前教主・金光鑑太郎こんこうかがみたろう様は、お歌に詠んでおられます。

 「喜怒哀楽先にはあらず賜びしいのちありてめざめてのちのことなり」

 私たちは喜怒哀楽の方に心をとらわれがちですが、実は、喜怒哀楽より先に、まず、賜った尊い命があるのだということを、このお歌から教えて頂きました。つまり、朝、目覚めたら「目覚めさせて頂きました。ありがとうございます」と神様にお礼を申す。そして、起こってくる全てのことにお礼を申しながら生活をする。そのお礼の積み重ねによって、豊かな人生が開けてくるのだということであります。

 「喜怒哀楽先にはあらず賜びしいのちありてめざめてのちのことなり」

 お互いは天地のお働きを頂いて生まれ、何年、何十年と、この天地のお働きの中で目覚めさせて頂いております。そこを大切に受け止め、朝、目覚めたことを当たり前のこととするのではなく、お礼を申す。その日々を重ねながら、共々に、尊い一年にさせて頂きたいと願っております。

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