今になって分かるあの手紙


●信者さんのおはなし
「今になって分かるあの手紙」

金光教放送センター


 (俊明としあき…。ありがとうね)
 心の中で、何度も息子に語り掛ける。
 (俊明…。どうしたらいいと思う? 俊明…)

 西美智子にしみちこさんは、20年前に、息子の俊明さんを病で亡くしました。21歳という若さでした。
 俊明さんはバスケットボールが大好きで、インターハイで全国優勝したほどのスポーツマンでした。そして大好きなこのスポーツを後輩に伝えたい、広めたい、出来ればアメリカのプロバスケットボールリーグでプレーしたいと、希望を胸一杯に膨らませ、留学しました。ところがその矢先、悪性の腫瘍しゅようが見つかり、2年間の辛い闘病生活の末、帰らぬ人となったのです。
 病室へ行くと彼は必ず言いました。
 「心配しなくてもいいよ、お母さん」
 いつも、励まされるのは美智子さんの方でした。
 西美智子さんは、広島県にある金光教廿日市はつかいち教会にお参りする現在74歳の女性。ここ廿日市は、海を隔てた向こうに、厳島神社いつくしまじんじゃのあの真っ赤な鳥居が眺められる風光明媚ふうこうめいびなところで、彼女も大好きなご自慢の風景です。もともと明るく元気で、周囲を魅了していた美智子さんですが、その彼女に起きたあまりにもつらい出来事でした。
 美智子さんは、岡山県の金光町で自営業を営む家に嫁ぎました。そして、金光教と出会います。夫の母もそうでした。この家に嫁ぎ、金光教と出会いました。義母は嫁いできたころ、この街は、他の街とは何かが違うと感じたそうです。顔見知りが増えるにつれ、「おやっ」と思いました。みんなが金光教の信者だったのです。何気ない会話の中にも、喜びが満ち溢れていて、義母もそうした人たちの温かい人柄に引かれ、自然とお参りするようになり、商売や家族のことを一生懸命に祈りました。
 美智子さんはそんな義母の後ろ姿を見ながら過ごしました。実は、その義母は、美智子さんが嫁いでくる数年前に、26歳になる長男を結核の病で亡くしていました。
 ある日のこと。亡くなった長男を祭る写真を前に、義母がこんな話をしてくれました。
 「あんなぁ…。この子がおらんようになったけど、わたしゃ、いっつもこの御霊みたま様と相談しながら、他の兄弟のことや、困ったことなんかを話しするんじゃぁ。するとなあ、あの子が答えてくれるんよ」と…。
 「そんなことがあるもんか…」。美智子さんは思いました。その時は、自分も同じ悲しみを味わうことになろうとは、知るはずもありませんでした。
 義母との同居生活は5年ほどでした。夫が突然、家を飛び出し、広島で仕事を始めたのでした。夫は、兄と一緒に家業を手伝っていたのですが、独立したいとの思いが強かったのです。美智子さんも、周囲の反対を押し切り、後ろ髪を引かれる思いのまま、子供を連れて、夫の居る広島へやって来たのです。今から50年ほど前のことです。
 しばらくして、この若い夫婦のもとに、夫の母から手紙が届きました。
 兄が居るとはいうものの、家業を捨て、飛び出して行ったこの夫婦への思いが次のように書きつづってあったのです。
 「…自分なりに親らしい務めを、精一杯して参りました。しかし、その努力は空しく灰となり、…泣き悲しまねばならぬことになりました。…家のため、あなたたちのためと、祈りつつ、一生懸命に働いてきたつもりの私ですが、何にもならぬ、つまらないことをしてきたようです。
…世間の笑われ者になったつまらぬ母を笑って下さい…」
 母の無念が、自分を責め立てているように感じると同時に、「どうしてこのような手紙を…」と、ただただ戸惑い、やり切れない思いのまま時間ばかりが過ぎていきました。
そして訪れた息子・俊明さんの死。美智子さんにとって思いもよらない別れでした。
 息子を亡くし、寂しくぽっかりと空いた美智子さんの心。
 その思いが募れば募るほど、美智子さんの心の向かう先は、夫の母のことでした。
 「あんなぁ…。いっつもこの御霊様と話しするとなあ、あの子が答えてくれるんよ…」
 今にも崩れ落ちそうになる彼女を、優しく抱きかかえてくれたのは、まさに母のその言葉だったのです。暗闇に差し込んだ一筋の光。
そして、美智子さんは、ずっと捨てられずにいたあの手紙を何度も読み返します。
親となり、子どもが居なくなるという悲しみを味わった今では、どれほどまでに子どものことを願い、期待に胸を膨らませ、愛情を注ごうとしていたのか、当時の義母の気持ちを思うと心が痛みます。
晩年義母は、美智子さん夫婦を訪ねました。立派に構えた会社のビルを眺めながら、大変喜んでくれている姿が美智子さんの目に焼き付いています。
 美智子さんは、亡くなった息子の写真を前にして
「今日は孫が運動会だよ。あんたの姪になるんだよ。けが過ちがあっちゃいけないし、祈ってくれる?」
 運動会が終わると、「無事に終わったよ。ありがとうね」と語り掛けます。心配は息子に預けると、不思議と安心に変わります。
 困った問題に突き当たった時も、「どうしたらいいと思う?」と息子に話し掛けると、フッと良い考えが思い付くことがありました。息子から告げられているかのようでした。
 今日も、瀬戸の海はいつもと変わらぬ表情で美智子さんを迎えてくれます。大好きな風景。息子が亡くなったころは、まぶたから溢れ出るものが邪魔をし、来る日も来る日もあの赤い鳥居はかすんで、よく見えませんでした。
 しかし今では、義母と同じように、息子に語り掛け、そして息子に励まされ、以前にも増して、色鮮やかにそれは映るのでした。

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