おばあちゃんの話


●こころの散歩道
「おばあちゃんの話」

金光教放送センター


 私は40代の主婦。もう35年以上前かな~。母と一緒に、おばあちゃんのうちに遊びに行った日のことを思い出します。子どもの頃の思い出は、夢の中での出来事だったような、記憶も飛び飛びなんですが、案外、おばあちゃんから聞いた話は覚えてたりします…。

 祖母は、九州で育った人ですが、私が遊びに行ってたころは、大阪の堺という所にいました。その時、70歳くらいでしたが、当時の70歳といえば、腰の曲がったおばあちゃんというのが普通でした。だけど祖母は、背筋がピンと伸びてて、エネルギッシュで、何事にも一途な人でした。

 「よっこらせ~!」と気合いを入れて、重たい漬け物石を持ち上げます。「これは、40年床のぬか(・・)なんやで」と中から、キュウリと水ナスを取り出し、新聞紙にくるんで、帰り際にいつも渡してくれます。時々、たくあんももらうのですが、帰りの電車で、その臭いがプンプンするのを、恥ずかしいと感じた覚えがあります。「何か、別の臭いに間違えられそう~」。でも、母の方は、「おばあちゃんの漬け物は、最高においしいからねぇ」とうれしそうです。
 ある時、祖母の肩をトントンたたいていたら、こんな話を聞きました。
 「おばあちゃんの日課は、朝早う起きて、表の長い道路をホウキで掃くことなんや。前は先に、神棚にご飯をお供えしてから表に出てたんやけど、やっぱり、人が通る前に奇麗にしておこうと思てな。ずーっと続けてることなんや」
 「ふーん、しんどくないの?」
 「汗はかくけど、気持ちがええでー」
 祖母の話は続きます。
 「神様のノートというのがあってな…」
 「神様のノート?」
 「そう。例えば、何月何日、誰々はああやった、こうやったと、ええことも悪いことも全部ノートに書かれるねん。誰も見ていないところは、神様が余計見て下さってるような気がしてな」
 その時の私は、幼かったせいか、「ふ~ん、そうなんやー」と、特に疑うこともなく、普通に聞いていました。
 「神様のノートかあ…」

 その後、20年が経ち、私は大人になり、結婚をしましたが、悩みが出来たこともありました。私の浮かぬ表情を見て、90歳だった祖母が言いました。

 「どんなことも、ハイッ、ハイッ言うて、素直に受けさして頂き。『若い時の苦労はうてでもせよ』っていう言葉がある。若い時やからこそ、出来るんやで。『買うてでも』とまで言われてるのやからなー」

 なんだか、おばあちゃんからそう言われると、押し付けじゃなく、素直に耳に入るので、不思議な感じです。

 また月日は流れ、祖母は98歳です。真っ直ぐだった腰は、くの字に曲がり、杖をつきながらトボトボと歩くようになりました。ある日、私は祖母と一緒に、近所の踏切の前で、電車が通るのを待っていました。

 〝開かずの踏切〟と言われるように、10分経ち、20分過ぎても、まだ開く様子がありません。私は「ハーッ」と深くため息をついて、「おばあちゃん、しんどくない?」と声を掛けると、「いやー、有り難いことやなぁ」という、まさかの返事が返ってきました。
 「え? どういうこと?」
 「電車の行き交う時間が長くなればなる分、たくさんの人のことを祈れるからなあ」
 「何をお祈りしてるの?」
 「うん。『電車が無事に目的地に着きますように。運転手さんも車掌さんも、お客さんにもけがや過ちのございませんように』ってな。新聞を見てても、悲しいニュースがいっぱいあるやろう。『どうか、そういう人たちの心が救われますように…。亡くなられた方の魂が助かりますように…』とお願いをするのやけど、時間がいくらあっても足らん」。
 祖母は、近所の人と話をしていても、「あそこの家の誰々さんが入院したんやって」と聞けば、その後、自宅の神棚の前で、回復を願っているんだそうです。
 祖母は言います。「歳を取ると、身体は動きにくうなるんやけど、お祈りだけは出来て、それがうれしゅうてなー。布団に入ってても、やれるからなあ!」

 そんな祖母は101歳で旅立ちましたが、なんだか未だに、私たちのことを心配して、祈ってくれているような気がします…。

 自分の未来を考えました。歳を重ねるって、どういうことなんだろう。シワが増えて、耳も遠くなって…つらいこともあるかなー。いや、でもまた喜びもあって…。そんなことを繰り返しながら、人って豊かになっていくのかなぁ。おばあちゃんのようになれる自信はないけど、せめて、ほんのわずかでも人の心に安らぎを与えられるような、そんな自分になれたらいいなー。

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