暑いですねえ


●こころの散歩道
「暑いですねえ」

金光教放送センター


 今年もいよいよ本格的な夏を迎える。昨年は、35度を超える猛暑日が続き、連日の熱帯夜となった。「うだるような暑さ」「とてつもない暑さ」などと、そんな言葉を聞かない日がないほど、その暑さは格別だった。
 私たちはあいさつの代わりに、「暑いですね」「寒いですね」とか「よく降りますねえ」などと天候を話題にして声を掛け合うことが多い。そのような言葉の後ろには、たいてい、「暑くていかん」「寒くてかなわん」「雨はうっとうしい」などと、不平の気持ちがくっついている。
 そういえば昔のことわざに、「天のことを三日言わずば長者になる」というものがある。「天気のことであれこれ不足を言わなければお金持ちになれる」というのだ。辛抱することや、プラス思考の大切さを教えたものだろう。
 私も、人から、「暑いですね」と声を掛けられることに抵抗を感じてきた。べつに長者になりたいからではない。お天道さまに文句を言っているように思え、何だか申し訳ない気がして、素直に、「そうですね」と言いたくなかったのだ。
 「雨が降っていかんなあ」などと言われると、心の中で“そんなことはない。そりゃ外での仕事には差し支えるし、じめじめして快適ではないけれど、雨が降らなくて水不足になったら、それこそ大変だ。雨は天からのお恵みなんだがなあ”と思う私がいた。

 数年前のこと。10月も下旬になって、思いがけず超大型の台風が接近していた。その日、近くの町で大切な仕事があったので、不安はあったが、「神様、何とか仕事が終わり、無事に帰ることが出来ますように」とお願いして出掛けたのだった。
 仕事は無事に終えたものの、家路に向かおうとした時、私の住む地区で土砂崩れがあり、一軒の家が押し潰されたという情報が届いた。一刻も早く帰らなければと、緊張しながら車を走らせた。
 ところが、途中で通行止めに行き当たってしまった。山の土砂が崩れて道路を塞いでいたのだ。すでに復旧作業が始まっているが、なかなか動けない。早く帰りたくて、居ても立ってもいられない気持ちを抑えながら待機していた。やけに長く感じたが、数十分もすると車1台は何とか通れるようになった。前を走る車の後を追うようにして、「神様、無事に通らせて下さい」と祈りながら、恐る恐るその現場を通り抜けた。川は大きく水かさを増し、ゴオーゴオーと音をたてて流れていた。山の斜面からは、まるで滝のように水が流れ落ちていた。
 いつこの道が崩れ落ちるか、いつ土砂に呑み込まれるか分からないと思いながら車を走らせる恐怖は、今でも忘れることが出来ない。
 ようやく家にたどり着いた時、近所に住む人たちは、近くの公民館に避難していた。しかし、台風は少しずつ遠ざかっているようだ。ほっと胸をなで下ろし、心から神様にお礼を申し上げた。
 台風の予報がありながら、大したことないだろうと、どこか高をくくって、天地自然の営みを甘くみていたことを深く反省した。
 そして、思ったのだ。これほど大きな力が渦巻く天地に対して、無力な人間が何を言えるだろうか。この雨の激しさにも、私たちの考えなどはるかに及ばない、何か大きな意味が込められているのかもしれない。人間はこのとてつもない力を恐れ敬い、どうか無事でいられますようにと、ただただ祈りながら、天地に生かしてもらう他はないのだと。
 そんな思いがあって、雨が降ることはもちろんのこと、暑かったり、寒かったりの天候への不平は自分の中から一掃していこうと、改めて心に誓ったのだった。
 ところが冬のある日、久しぶりに会った親しい友人から「寒いねえ」と声を掛けられ、「僕はお天道さまに文句言わないことにしてるんだ」と返答した。すると、「君は冷たいヤツだなあ。ますます寒くなる」と言われてしまった。
 同じ頃、新聞を読んでいると〈「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ〉という歌が目に飛び込んできた。
 ビクッとした。そうだなあ、私は天地の営みに心を向けていたかもしれないけれど、人への優しさ、温かさに欠けていたのかもしれないなあと思った。
 「寒いねえ」と声を掛けられたら、「そうだねえ、寒いよね」と受け止めると、その寒さを分かち合い、乗り切れる力になれたかもしれないのに。
 そんな思いの移り変わりがあって、昨年の夏は、「暑いですねえ」と声を掛けられたら、「そうですねえ、暑いですね」と相手の気持ちに寄り添い、「それでも元気で何よりです」と、そこに感謝の気持ちを添えて、暑い暑い夏を過ごした。

 さて、これからいよいよ夏本番。夏は暑いに決まっているけれど、その暑さをどう見るか、どう言葉にするかは、人によってさまざまだ。
 人への思いやりと、天地の働きへの敬い、どちらも大切にしながら、毎日をうれしくありがたく過ごしていきたいと思う。

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