神心と人心


●先生のおはなし
「神心と人心」

秋田県
金光教能代のしろ教会
荒谷光一あらやこういち 先生


 先日、出張先で仕事を済ませたあと、帰りの切符を買おうと思い、駅の中にある窓口へ行きました。そこは大変小さな駅で、窓口も一つしかありません。並んで待っている人が4、5人いて、列の先頭では、背の低いおばあさんが切符を買っているところでした。「あーあ、こんなに並んでいたら、すぐの電車には乗れないかなあ」。そう思い、並んで待っていると、そのおばあさんが窓口でいろいろと質問しているのが聞こえてきました。電車での旅行に慣れていないようで、乗り換えのホームや時間などについて、いちいち細かく質問していたのでした。
 聞こえてきたその内容は、極めて常識的なことでしたので、「えーっ、そんなことも分からないのか」と思いながら、おばあさんの次に並んでいた中年のご婦人にふと目をやると、案の定、イライラした様子を見せています。私は、「ああ、やっぱりな。ほんと早くしてほしいよなあ」と、そのご婦人に共感していました。すると次の瞬間、そのご婦人がいきなり、「それはあの時刻表を見て、ご自分で調べればいいですよ」と、丁寧な言葉ではありましたがきっぱりとした口調で告げると、おばあさんを強引に脇へ押しやり、すぐに自分の用件を係員に向かって話しだしました。相当急いでいたのでしょうか。あるいは、長い時間待たされていた不満が爆発したのかもしれません。私はあっけにとられて見ていました。
 一方、脇へ押しやられたおばあさんの方はというと、反撃にこそ出ませんでしたが、ものすごい形相でそのご婦人をにらみつけて、「分からないから聞いているのに」と小声でつぶやきながら、なおもしばらくの間、ムッとした表情を相手にぶつけていました。最初に目にした不安げな表情からは想像も出来ない怖い顔でした。

 そうこうしているうちに私の順番が回ってきて、予定通りに切符を買うことが出来ました。電車に乗るために改札口へ向かおうとすると、先ほどのおばあさんが、時刻表を見たり周りをキョロキョロしたりしながら、困ったような様子を見せています。「ああ、やっぱりまだ分かっていなかったのか。よし、教えてあげよう」と思いましたが、すぐそのあと、「いや、待てよ。ここで関わっていては、こっちが電車に乗り遅れるかもしれない」との思いがよぎりました。
 そのときです。私の心に、ある出来事が思い浮かんだのです。

 少し前の冬、スーパーの駐車場を出ようとしていた時のことです。吹雪で視界が悪い中、一台の車が行く手を遮っていました。「どうしたんだ、早く車を動かせよ」とイライラしながら見ていると、その車はバックで駐車しようとしているようでした。ところが、運転に慣れていないのか、ちょっと動いたと思ったらまた戻ったりして、なかなか駐車が出来ません。そして、あと少しでこちらが通れるくらいのところで、その車は止まってしまいました。「なにやってんだよ! さっさとしろよ」イライラが最高潮に達していた私は、車一台が通れるか通れないかくらいのわずかな隙間に向けて、車を前進させました。ギリギリで通り抜けたかに思われたのですが、止まっていたその車とわずかに接触し、車に傷を付けてしまいました。相手の人は車を降りて、ものすごい剣幕で、やはり車を降りた私を責め立てます。「モタモタしていたのが悪いんじゃないか」。私は内心そのように思いましたが、向こうの車は完全に止まっていたので、反論は出来ません。じっと我慢して怒られ続けました。

 後で心が落ち着いてから、自分の考えと行いを振り返ってみました。あの時、最初、私の心には、「困ってるみたいだな」という思いが浮かび掛けました。ひどい雪の中、後ろ向きに駐車するのは大変です。お年寄りかもしれません。運転の苦手な人かもしれません。「気の毒になあ」という思いが、私の心に湧きかけました。しかし、そんな思いは、「こっちは急いでいるのに」という思いの前に、形になる前に消え去ってしまったのです。

 金光教の教祖は、「かわいそうにと思う心が、そのまま神である」と教えています。人は誰でも他人を思いやる心、神心を持っているのです。そして同時に人は、自分の理屈や都合で神心を打ち消してしまう心、人心も持っています。「よし。次は神心でいくぞ」と私は決意したのでした。

 困っているおばあさんを見ながら、私はこの決意を思い出したのです。私は、心の中で神様にお願いしながら、思い切って、「どうかしましたか?」と声を掛けました。「この電車に乗りたいんだけど、よく分からなくて」と言われたので丁寧に教えてあげました。おばあさんは、打って変わって明るい表情になり、「どうもありがとう」と、ニコニコしながら何度も頭を下げてお礼を言われました。
 私は、とてもうれしく、温かい気持ちになりました。そして、すがすがしい思いで改札口に向かったのでした。
 まだまだ人心が前に出やすい私ですが、そうであるからこそ、困っている人を見て「気の毒に」と思う素直な気持ちを大切にしていき、自分の神心かみごころを育てていきたいと思います。それは、とても小さなことですが、同時に、この世の中に、人を思いやる気持ちをほんの少しでも生み出していくことは、とても大きな意味を持っているのではないかと思うのです。

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