●金光教教務総長・年頭放送
「毎日の今」

金光教教務総長
佐藤光俊 先生
皆様、新年明けましておめでとうございます。新たな年の初めを迎えて、大人も子どもも、誰しもが、おのずと、すがすがしい、真新しい思いになるのも、考えてみると不思議なことではありませんか。
1日1日の積み重ねが、1月となり、1年となるのですから、その最初の日を迎えたといっても、50歳の方は50回、80の方は80回目のお正月を経験しておられますのに、誰一人として、もう何回もお祝いをしたから、今年は止めようとは申しません。年齢を重ねるのはつらい、苦しいと思っている人たちでも、やはり、元日を迎えると、一種の晴れやかな気分がもたらされ、新しい気持ちを覚えさせるもののようです。
私は、以前、ひと月余り入院して、治療を受けたことがあります。7月末のある日の夜、少量の吐血があり、電話で主治医に連絡したところ、「今は大したことはないようでも、今夜中に急変する恐れがあるから、すぐに救急車で来て下さい」とのご返事で、戸惑いながらも、緊急入院することとなりました。
病院では、何人もの医師と看護師さんたちが待ち受けておられ、初めて事柄の重大さを実感したのでした。内視鏡での治療を受け、その後も、何度かの検査と治療を受けることになります。
おかげで何の痛みも苦痛もなく、入院した日に応急処置をして出血は止まりましたが、翌日には本格的な治療を受けて、その後の2日間は点滴のみで絶食となりました。ひどい空腹感はないのですが、脱力感は始終つきまといます。治療からやっと3日目に、コップに3分の1ほどの重湯とお白湯が出た時、「これが食事か…」と思う程のわずかな飲み物でしたが、恐る恐る口にして、含んで味わった時の感激は今でも忘れられません。今までに味わった基準では計り知られぬ味わいなのです。ただおいしいというのとはまた違って、味わい深い、しかも、飲み込むとすぐに体に充足感が生まれ、満たされる喜びと共に、力が身につくとでもいえるのでしょうか。2口、3口で終わりなのですが、じっと口に含んで、味わい尽くす思いになります。最後に、お白湯を頂いたのですが、ただのお白湯にも深い味わいがあることを初めて知りました。
今まで、好物の品やご馳走と言われるものも随分頂きましたが、それらとは比べようもない、神様の贈り物と言うてもよい程の深い味わいを感じたのです。
この時、私が頂いた重湯といえば、材料は普通のお米を少々と、ごくわずかな塩分でしょうが、普段は、主食として、その何倍ものお米をご飯として、何とも思わずに食べていたことを思うと、今までの食生活は、何とお粗末な食べ方であったのかと、身の程を恥じ入る思いがし、改めて口に出来る物がある喜びともったいなさ、食物のありがたさを痛感させられたのです。
その後、重湯から、二分がゆ、そして三分、五分、七分がゆと進み、やっと全がゆになります。しかも、それぞれが2日間続き、2週間ほどして、初めて白米のご飯に到達するのです。ですから、五分がゆになる頃には、朝昼晩と毎食のことですから、最初の感激はいつしか消えて、「一体、おかゆがいつまで続くのか」と不満が芽生え始めるのです。早く、普通のご飯が食べたい。その思いが次第に膨らみ、口にも出ます。同時に最初の重湯を頂いた時の感激も思うのですが “欲望”というものは誠に扱いにくいものであることをも知りました。
こうして、ひと月も経過した9月初旬のある日、いよいよ退院の日を迎え、お世話になった方々にあいさつを済ませて、玄関を出ました。そして、10メートルほど歩いて、迎えの車に乗り込むまでのわずかな時間に、太陽のまぶしい輝きと共に、冷房の中で季節を忘れていた体が、次第に汗ばむのを感じた時、生き返ったという感覚が全身を包みます。
夏ではあっても、外気の暑い空気が、全身を包み、生きた空気を思い切り吸い込んで、五体が満たされる思いがしたのを忘れられません。時に、かすかに吹く風にも、天地が生きているという感動を覚えたのです。今にして言えば、かつてこれ程確かに、わが身を天地の生きたいのちの一部として、見出した経験はなかったと思います。
ある時、金光教の現教主・金光平輝様は、次のような言葉を伝えておられます。
「今日も明日もあさっても、みな今月今日になります。すべてお世話になるものに礼を言う心を土台にして、ここから先の毎日の今を大切に、おかげを頂かれますよう、祈ってやみません」
ここには、人間の生き方にとって、極めて大切な意味が、さりげない言葉で示されているように思います。先ほどの、病院での二つの感激と重ね合わせて、このお言葉を思うのです。
「毎日」という言い方で済むところを、わざわざ、「毎日の今」と言われているのには、日常の毎日の時間の中に、ふと、神様に通じる瞬間が誰しもにあり、その瞬間を、「毎日の今」と言われ、そして、「今月今日」とも言われて、そのことへの気付きを促されているのだと頂いております。
「今日も明日もあさっても、みな今月今日になります」
「すべてお世話になるものに礼を言う心を土台にして、ここから先の毎日の今を大切に」
どうぞ本年も、皆様方にとって、かけがえのない、「毎日の今」という時の発見でありますよう、祈りを込めて、新年のごあいさつと致します。
