ニューヨークの女神


●こころの散歩道
「ニューヨークの女神」

金光教放送センター


 「ともあり 遠方よりきたる 5年ぶりの再会、楽しみにしています」
 友人からのこんなメールに後押しされて、私は、一昨年の夏、10歳の長女と2人、ニューヨークへの旅に出た。
 いつかきっとと思い続けていたニューヨークへの旅である。
 私たちを乗せた飛行機は、無事、デトロイトに到着。2時間後の国内線に乗り継げば、いよいよニューヨークだ。
 ところが、天候の関係で、出発を見合わせているという。おまけに長女は、「しんどい」「眠い」「帰りたい」と、ご機嫌斜め。フライト中、ほとんど眠っていなかったのだから無理もない。
 場内放送は、早口で聞き取れないが、「周りの人を見ていれば乗り遅れることはないだろう」と、腹をくくった。長女もベンチでウトウトし始めた。やれやれだ。
 結局、乗り継ぎの飛行機は、夜10時過ぎ、6時間以上遅れて、ようやく離陸した。そこで隣り合わせたのは、ニューヨーク在住のエレーナという若い女性だった。「結婚しているけれど、今は別々に暮らしているの。いつか夫と、日本を旅したいわ」とも言っていた。
 エレーナは、長女に、「辛抱強くて、賢い女の子だね」と声をかけ、長い待ち時間に耐えたことを褒めてくれた。そして、かばんからメモ帳とペンを取り出すと、到着までずっと、お絵描きをして遊んでくれた。「深夜のフライト中、娘が退屈しないか…」と案じていた私にとって、彼女はまさに女神だった。

 ニューヨークの街は、にぎやかで活気に満ちている。超高層ビルの高さも、想像以上だ。大勢の人々が急ぎ足で行き来し、車も慌しく走り回っている。
 私は、友人との再会を果たした。積もる話に花が咲き、やがて、仕事の話題になった。「外国企業の本社勤務は、どう? 文化の違いが大変では?」と尋ねたら、「いろんな国の社員がいるが、同じ人間同士だからね。言うべきことを言い、聞くべきことに耳を傾ければ大丈夫」と、彼らしい答えが返って来て、うれしかった。
 私と長女は、朝早くから精力的に観光して回った。自由の女神、ウォール街に続いて、同時多発テロの現場となったグラウンド・ゼロへと足を向ける。そこは、広大な工事現場になっていて、背の高い壁で囲まれていた。
 2001年のあの日、2人目の子を妊娠中だった妻が、長女の成長ぶりをうれしそうに話していたのを思い出す。その直後、テレビに映し出されたのは、とてつもなく破壊的なあの映像だった。家族との平凡な毎日こそ、掛け替えのないものであると思えた。そして、その幸せが、一瞬にして消えてしまうのではないかという恐怖にも襲われた。
 私は、いつの頃からか、「この現場に足を運んで祈りたい」と考えるようになっていた。「人を暗闇へと導く、無念さ、怒り、悲しみ、憎しみ。その暗い感情を、慈しみや優しさに変えていける自分であり、人類でありますように…」と、この場所で祈りたかったのだ。
 壁に遮られ、中は見えない。若い作業員に「お祈りがしたいのですが…」と尋ねると、壁の切れ目がある場所を教えてくれた。そして、励ますように、いたわるように、ポンと優しく肩を叩いて促してくれた。
 現場に向かって手を合わせ、私たちは祈った。立ち去りがたい気持ちを振り切るように、グラウンド・ゼロを後にする。長女と並んで大通りを歩きながら、私は、飛行機で出会ったエレーナのことを思い出していた。
 お絵描きの合間、エレーナに、旅の目的を聞かれた私は「テロの現場を訪ねて祈りたいのだ」と答えた。彼女は明るかった表情を曇らせて「あの時、大切な人が大勢亡くなったわ。皆、とてもいい人だった…」と言って、涙をぬぐった。やがて、元の笑顔に戻ると「遠い国から、そのために訪ねてくれて、ありがとう」と、お礼の言葉を口にして、私の眼を真っ直ぐに見つめていた。
 その時私は、今もなおエレーナの心の奥に、身を裂かれんばかりの悲しみや怒りが横たわっているのを、垣間見たような気がした。彼女はそれを、女神のような優しさに変えながら、暮らしてきたに違いない。長旅に疲れた親子に、あんなにも親身に、思いやりの心で接してくれたのだから…。

 日本へ発つ前の日、セントラルパークに出かけた。緑の木々が木陰をつくり、一直線に散歩道が伸びている。年老いた黒人の男性がサクソフォーンを吹いている。日本に住んでいたという。曲が終わると、熱心に耳を傾けていた長女に「何か楽器を習っているの?」と聞いてきた。長女が「ピアノです」と答えたら、彼は「レンシュウ!」と大きな声で言ってほほ笑んだ。
 「やっぱり練習かぁ」と私は思った。女神のようなエレーナも、抱えた苦しみを人への優しさに変えようと、心の練習を重ねてきたのかもしれない。
 公園を渡る心地よい風が、彼の音楽を遠くへ運び、みんなの顔をなでていた。

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