●こころの散歩道
「いまさら」

金光教放送センター
光男さんは今年87歳になるおじいさん。若い頃から年に1、2回、私の奉仕する教会に参拝している。その光男さんだが、2年ほど前から、急に毎日お参りしてくるようになった。そのきっかけは、どこかで私の話を聞いて、「毎日お参りしてみよう」、という気になったかららしい。ちょっと腰は曲がっているけど、今でも、長男夫婦と3人で野菜や果物を作っている、現役のお百姓さんだ。
毎日のお参りを始めた最初の日、光男さんが「せめてもう10年、元気で野菜が作りたいんですが、こんなお願いは欲張りでしょうか?」と尋ねるから「そんなことはないですよ。思ったとおりに、そのまま神様にお願いされたらいいんです。でも、10年だと95歳できりが悪いから、100歳までにしたらどうですか?」と私が提案すると「それじゃあ先生、あと15年というのもきりが悪いので、欲張りついでにもう20年、というのはダメでしょうか?」と、真顔で聞いてくる。「分かりました。神様にそう、しっかりお願いしておきますから、光男さんも神様におすがりしながら、頑張って下さい。それと、今日まで85年間、元気でやってこれたこと、それを神様にお礼を言うことを忘れないで下さいね」
こうして「105歳まで元気でお百姓を」と神様にお願いした光男さんは、片道10キロほどの田舎道を、毎日、軽自動車を自分で運転してお参りしてくるようになったのだ。
昨年の初めのこと、いつものように教会に現れた光男さんだが、珍しく浮かない顔をしている。訳を尋ねると、ちょっとさびしそうにこう切り出した。
「実は先生、近所の農家の仲間に、『今年からトマトのハウス栽培を始める』と言ったら『今更その歳でハウス栽培はないだろう』と、示し合わせたかのように誰も賛成してくれないんです。本当にこの年になったら、もう新しいことを始めてはいけないんでしょうか?」
私もちょっと心配になったので「でも、あまりお金をかけると周りに心配をかけますよ」と言うと「近所に使ってないハウスがあるから、それを借りることになっている」と言う。息子さん夫婦も「おじいさんのやりたいようにやったら」と言ってくれているらしい。「それじゃあ、何の心配もないじゃないですか。神様にお願いしながらやってみたらどうですか」、と私が答えると、うれしそうに光男さんはうなずいた。
「ところで光男さん、なぜまた急に、毎日お参りする気になったのですか?」。改めて訳を尋ねてみると「先生の話を聞いて、これからどのように生きるべきか改めて勉強したくなった」という。う~ん、そんな、難しい話、したことあったかなあ。
私は今年60歳。若い人たちからは不思議がられたりするのだが、ワープロは使えても、パソコンとなるとどうも苦手である。ところが最近、愛用していたワープロの調子があまりよくない。画面はかなり薄暗くなっているし、キーボードにもかなりガタがきている。そろそろ買い替えの時なのだが、困ったことに、ワープロなんて、もうどこにも売ってないのだ。
ところが、無理に探せば、あるところにはある、と聞き、「それだったら」と、何とかしたくなって、息子にそれを頼むと「ワープロなんてやめて、パソコンにしたら」と言う。
実は自分でもそう思って電気屋さんに行ってみたのだが、パソコンのキーボードはワープロと違って英語ばかりで書かれていて、使い方がどうもよく分からない。息子にそう言い訳すると「少し使えばすぐに慣れるから大丈夫。いつもは若ぶってるくせに。まさか父さん、『今更』なんて思ってるの?」。そう言われて、ちょっと焦った。
英語で書かれたパソコンのキーボードだが、ホントは単純なアルファベットが並んでいるだけなのだ。でも「ワープロなら使えるのに」という気持ちが働いてか「今更パソコンの勉強なんて面倒」と、おっくうになってしまうのだ。そう言えば、私は若い頃から「今更頑張っても仕方がない」などと言いながら、いつも努力することから逃げていたような気がする。学生の時には「今更勉強しても遅いから、もう寝よう」と、そんなことの連続だった。
光男さんと毎日話をするようになって、私は今まで散々使ってきたこの「今更」という言葉を、今更ながら考えるようになった。
「今更この歳」って、一体何歳なんだろう。60? 80? ホントはお互い何歳まで生きられるのか、そんなことは誰にも分からない。実際、今の日本には100歳以上の人が実に4万人もいるという。うまくいけば、誰だってその仲間入りができる可能性が大いにある。そう考えれば、私なんか、後40年も残された人生があるのだ。
85の手習いを始めた光男さんに比べたら、還暦の私はまだまだヒヨッコだ。もう逃げるのはやめて、固くなりたがっている脳みそをもみほぐしながら、立ち向かってみるか、パソコンとやらに。ちょっと手強そうだけど…。