自分の都合、神様の都合


●先生のおはなし
「自分の都合、神様の都合」

東京都
金光教亀有かめあり教会 
末永正次すえながせいじ 先生


 私には子どもが2人います。これは長男が1歳半になった初夏の頃の話です。

 このくらいの年頃になりますと行動範囲も広がってきており、少しでも目を離そうものなら、パアーッと玄関を飛び出し、気がつけば裸足のまま外で遊んでいるというようなことが増えてきました。私も家内も子どもには伸び伸び育ってほしいと思っていたのですが、この「裸足での外出」、1~2回ならともかく何度も続くとなると、そうも言っていられなくなってきました。周りの同じ年頃の子どもたちは、ほとんど靴を履けるようになっていますし、路上には小石やガラスの破片、時にはペットのフンなどが散乱していたりするからです。

 そこでさすがにこのままではいけないなと思い、外に出る時は靴を履かせるよう挑戦するのですが、これがなかなかうまくいきません。靴を履かせようとすると途端に泣きわめき、激しく抵抗するのです。

 それでも何とかあやしつつ、やっとの思いで半ば強引に靴を履かせるのですが、いつもは元気に走り回り、片時もじっとしてない長男が途端に足の裏に吸盤でも付けたかのように、一歩もその場から動こうとしなくなるのです。これが大人の靴やスリッパだと、こちらが何も言わなくてもすんなりと履いて動き回るのですから不思議なものです。だから子ども用の靴も当然、履けないはずはないだろうと思い何度も試みますが、どうにも言うことを聞かないのです。

 一体どうしたら靴を履いてくれるようになるのか、思案が続いたある日、その日も同じようになかなか靴を履こうとしない長男を前に、家内が「もう、これからは無理に靴を履かせようとするのはやめにしよう」と方針転換をしたのです。

 それを聞いた私は、果たしてこれで本当に良いのだろうかと思いました。しかし考えてみたら靴を履かせないことによって厳しい目にさらされるのは、どちらかというと私以上に母親である家内の方です。それ相応の決意と覚悟がなければ言えることではありません。そんなことを思った時、私の中にふっと今までとは違った思いがわいてきました。そもそも長男が本当は履こうと思えば履けるはずの靴を、ここまでして履こうとしないのは、もはや単なる子どものわがままではないかもしれない。もしかしたら神様が子どもをとおして親である私たち夫婦の心を鍛えよう、育てようとされているのではないだろうか。そんな思いに駆られたのです。

 そして私も腹を据えようと思いました。「長男がどうしても靴を履こうとしないなら、それでいい。私も無理に靴を履かせるのはやめよう。そこから先のことは神様にお繰り合わせを願い、長男が靴を履かないという現実にじっくり付き合ってみよう」と思えたのです。

 以来、私も家内同様、長男が裸足で外に出ていっても、無理に靴を履かせることはしないようにしました。確かに体裁は悪いですし危険も伴いますから、ある程度はきちんと子どもの様子も見ていなくてはなりません。それは生易しいことではありませんが、家内の思いにつられるように私もそのことに沿わせて頂きました。

 それから2カ月くらいが経ったある日、定期健康診断のため、家内が長男を近くの保健所まで連れて行く機会がありました。その時も長男は靴を履いておりませんでしたが、周りの他のお子さんたちは、ほとんどの子が靴を履いていました。そういう状況の中、家内が保健所の方から「やはり、そろそろ靴は履かせた方がいいですよ」と指摘をされたそうです。もとより長男に早く靴を履かせるようにしなければという思いは、家内自身が誰よりも強く感じていたはずですから、指摘をされて「そんなことは百も承知です」という想いもあったことだろうと思います。しかし家内はその指摘を、そういう風に受け取るのではなく、「これは神様からのメッセージだ」と感じ取り、今一度、長男に靴を履かせてみることにしたのです。

 とはいえ、ここ2、3カ月の間に長男の足のサイズはだいぶ大きくなっており、もともとある靴では小さくて履けなくなっていましたので、健康診断が終わった後、家内は早速、新たに靴を買いに行くことにしました。しかし靴を履くことをあれほど嫌がっていた長男が、そう簡単に履いてくれることは考えにくいことです。買ったところで今までのように、ほとんど履かずじまいにならなければいいが…、という思いが私の脳裏にはよぎりました。

 ところがどうでしょう。いざ、恐る恐る長男の前に買ってきたばかりの真新しい靴を並べましたら、何の抵抗もなくスッと自分から足を差し出してきたのです。右足、そして左足と今までとは別人のようにスムーズに靴を履いたかと思った次の瞬間、今度はそのまま外に出てうれしそうに走り出したのです。私は一瞬、目を疑いました。その鮮やかなまでに自然な流れに恐れ入るような思いでした。

 私はこのことをとおして子どもに靴一つを履かせるのも、必ずしも私たち親の都合や思いで履かせられるものではないということを思い知らされました。そしてどうにもならない時には、神様に願いつつ、一度、親としての常識観念、見栄体裁を外してからでも子どもに寄り添い、後のことは神様に任せてすがらせて頂くことによって、しかるべき時にしかるべくして神様がご都合をつけて下さるんだなあということを感じました。

 ラジオをお聞きの皆さんも何かに行き詰まったりした時には「自分の都合」を一度、神様に預けてみてはいかがでしょうか。そこから思いも寄らぬ「神様のご都合」が現れてくるはずです。

タイトルとURLをコピーしました