●金光教教務総長・年頭放送
「いのちが喜ぶ」

金光教教務総長
佐藤光俊 先生
皆様、新年明けましておめでとうございます。
さて、皆様には、この新年をどのような思いでお迎えになりましたでしょうか。昨年のことを思い返して、ご家族のこと、職場や学校でのこと、身近な人間関係でのこと、ここから将来にかけての問題や課題など、今年こそは、と願いを新たにされたことかと存じます。
また、かつてない経済不況とも相まって、出口の見えない生活不安や、雇用不安、人間関係の破綻などに苦しみ、困難を抱えつつ、新年を迎えた方々も少なくはないでしょう。
私のある友人が、地方公共団体の課長職を任されていました。その彼が、ある時、次のように心の内を語ってくれたことがありました。
「自分は、国立大学を出て、地方公務員として就職し、今日まで何一つ失敗もなく勤めてきた。しかし、定年間近になって思うのは、あと2、3年もしたら退職金を受け取って辞めるだけだが、その金額ももう分かっている。あとは、定年まで用心して、大きな失敗さえしなければ、無事にその日を迎えるだろう。あと、2、3年分の給与と退職金、この金額を受け取る時に、自分の生涯の値打ちが決まってしまう。そう思うと、自分の生涯がこのお金に換算されるものに見えて来て、どうも気分が晴れず、憂うつになってしまうんだ。毎日職場に行くのが、億劫で、夕方になると友人から食事に誘われるが、お酒を飲んでも気は晴れないし、この頃では、夜もあまり眠れない」と、私につぶやくように打ち明けたのです。
一般的には、何とぜいたくな悩みか、と言われるかも知れません。しかし、私には、それはそれで深刻な悩みだなあ、と思ったのです。現代人に特有の悩みかも知れません。
その後、しばらくして、彼が定年を待たずに退職したと聞いて、私はあとわずかな年月を、不満はありながらも、定年まで勤めるものとばかり思っていましたので、大変驚きました。何がそうさせたのだろうか、と。
その後私は、彼が、毎日のように、作業服を着て、くわを担いで、田畑に出かけ、昼前に帰って来ては、また午後から出かけていくのを、見かけるようになりました。聞いて見ますと、祖父の代まで続けてきた農業を、素人ながら心向くままに、始めた、と照れながらも、楽しそうに話したのです。
今年から、わずかながらに稲作を始め、畑にも季節の野菜や花、果物を植えている、と言います。折々には、友人が来ては、熱心に農業の基本を教えてくれて、手伝ってもくれるらしい。その話が毎回、大変面白くて、今まで考えもしなかったことが、たくさんあることに気付き、夜寝る時も朝が来るのが楽しみで、大変充実している、とも言います。そして秋には皆を呼んで、採れた物を一緒に食べたいから、私にも来て欲しい、と笑顔で話してくれました。以来、収穫があると、ご近所の方や友人に、配っているそうです。
私は、この話を聞いて、生命がよみがえったのだなあ、と感動しました。
この友人は、一流大学を出て、自分にとってふさわしい就職として地方公務員の道を選びました。安定した職場であり、社会への貢献も出来、自宅からほぼ近くの職場に通勤し、両親と同居して、地域との交流や親せき付き合いもすることが出来る。20代後半に結婚し、二男一女の子どもにも恵まれ、とりわけの資産家という訳ではないが、田畑も家も持ち、大変恵まれた境遇にあるのです。職場では、順調に職務をこなし、実績に応じて次第に立場も与えられ、定時に出勤し、定時に帰宅。大病の経験もなく、家族も皆健康である。いわば、何不自由のない暮らしぶりであるのに、心が晴れず、夜もよく眠ることが出来ないといっていた彼が、定年前に辞職しなければならなかったのはなぜなのでしょうか。
彼は将来、結婚し、子育てのことなど、生きる便にと、人生の選択の中で、公務員の道を就職先として選んだのであって、決して、生き方を選んだ訳ではなかったのです。まじめに、日々黙々と勤め、多くのものは手にしたのですが、人生の残り時間を考えるようになって、そこから新たな悩みがわき起こったのでありましょう。40年勤めてきて、初めて気づいた事実というべきかも知れません。
私どもは、どこか自分の力で生きていると思い込んでいますが、得ることだけを考えて生きていると、いつしか満たされないものを体内に蓄積して、「夜も眠れない」思いになるのかも知れません。「得る」ことを中心に生活していると、「得られなくなる」ことは憂うつであり、不安感にさいなまれることになるようです。
しかし、「得られる」ことに感謝し、自分もまた、その喜びを「分かち与える」生活をすることで、人間は生きられるのだと教えられているように思うのです。
金光教の教祖、金光大神様は、「人間は、万物の霊長じゃというが、その霊長は何から出来たか、知っておられるかな。それは母の体内で作られたに相違ないといっても、人間の分別で作ったものではない。食物はお百姓さんが作ったというても、お百姓さんの力でも肥料の力でもなく、天地の御恵みの外から、生まれて来るところはないのでありますのう。そうすると、人間は万物の霊長というても、またその上に、天地がござっしゃることを忘れてはなりませんのう。子どもが恩を知らぬというて嘆く親があるが、天地の神の御恩を忘れておっては、みだりには言えませんことでありますのう」と教えられています。
私たちは、天地の恵みの中で生きているという、最も根本的で厳粛な事実、このことを決して忘れてはなりません。このことに感謝し、その喜びを分かち合いながら、そこに基づく生き方を進めていきたいものです。
