●立教150年記念特別番組
「神様のお喜び」

金光教放送センター
(出演:桂 かい枝)
おはようございます。落語家の桂かい枝です。
私は、落語の魅力を世界の人にも知ってもらいたいと、これまで世界12カ国を回り、外国の人たちに英語で落語を聞いてもらっています。
外国の公演では、公演前は、「日本のコメディー? 一体何をするねん?」てな感じで、遠くから不安そうに、不思議な顔で見ていた人たちが、終演後はみんなすごい笑顔になって、僕に近づいて来てくれるんです。握手とサイン攻め。笑顔ってほんまに人と人とをつなげるんですね。お客さんの笑顔が僕の笑顔につながる。笑顔って伝染するんです。そんな笑顔の瞬間にたくさん出会えました。
私の実家は金光教の教会で、子供のころから困ったことがあると、自然に神様にお願いしていました。
学校のテストの前にお参り。買って欲しいものがあったらお参り。好きな女の子に告白する前にお参り。まさに、困った時の神頼みです。
神様にお参りをすると、何となく気分が楽になって、難しい顔が少し笑顔になります。
今も落語の舞台に上がる前は必ず心の中で神様にお礼とお願いをします。
「今日もこうして高座に上がれます。ありがとうございます」「今日もどうぞお客様に笑顔で喜んで頂けますように」
ところが今の時代“笑顔”でいることが大変です。笑顔でいられれば気持ちは幸せなはずなのに、どうしてなのか、人間って悩みが絶えない、迷うことも多い。つい、うつむいて、なかなか笑顔になれない人が多いです。
今から150年前の江戸時代の末ごろも、今と同じように、いや今以上に大変な時代でした。世の中は「幕府を倒せ!」とか、「開国しろ!」という声が上がり、時代が大きくうねろうとしていました。考えたらものすごい不安ですわねぇ。そんな時代に、備中、今で言う、岡山県に一人のお百姓さんがいてはりまして、赤沢文治という人ですが、この人は神様から“あるお願い”をされました。「世の中には、苦しんでる人がたくさんいる。お前は、仕事を辞めて、どうぞその苦しんでいる、難儀な人たちを助けてやってくれ!」と神様から頼まれはったんです。
そこで赤沢文治さんは仕事である農業を辞めて、“取次”という神様の御用に専念するようになりました。その赤沢文治さんのことを私たちは金光様とお呼びしてます。
“取次”って聞きなれない言葉ですよね。字で書きますと、「受け取る」の取ると、「はい、次!」なんていう時の次、英語で言う、nextの次です。難儀な人の悩みや心の内を聞いて、神様に取り次いで下さり、神様の思いや教えを人に伝えて、助かり立ち行く方へ導いて下さる、これが金光教で言う“取次”です。
金光様のお取次は、落語の中に出てくるご隠居さん、じんべさんに似てるんですよ。長屋の住人、上方落語で言うと喜六・清八、江戸落語なら熊さん・八っつあんが、思い悩んだり、分からないことが出て来た時、気軽に相談出来る存在、それがご隠居さんです。
お取次って、ご隠居さんに、生き方を教えてもろうたりするのんと同じです。
SE 四拍手
「金光様、神様にはどのようにお願いしたらよろしいねん」「別に難しいことはないんじゃ、親にもの言うように朝起きたらお礼言い。よそへ行く時は行って参りますとお届けすればよい」。
そうか、神様にお願いするのも親に話すように言えばいいんかぁ、と合点がいきますわなぁ。ね、なんか世の中のこと教えてくれるご隠居さんみたいに思いません?
こんなふうにして、子どもから大人まで、小さな問題から大きな問題まで、遠くは大阪や九州からも、金光様のお取次でおかげを頂く、つまり、助かって笑顔になる人が増えていきましてん。
私も金光様のお取次でホッと笑顔になれたことがあるんです。言うても150年前の金光様と違いますよ、4代目の金光様。私高校3年生の時、受ける大学受ける大学みな落ちました。まあ気持ちええくらい。一生懸命勉強して勉強してそれでも受けるとこ受けるとこ全滅しまして。今は「受験の失敗なんて大したことない」とか言えますけど、当時はものすごい挫折でした。挫折というより、もうこの先人生どうなるんやろう、すべてあかんのんと違うかと、思い詰めながら、行ったのが金光様のとこです。金光様に、自分の思いを全部ぶつけたんです。長いこと30分はしゃべってたと思います。金光様はじっと聞いてくれてはりまして、最後にポツンと…、「列車に乗り遅れたらなぁ、次の列車にのりゃあ、ええんじゃ」。優しい岡山弁で言われました。
「乗り遅れたら次の列車? は? あっ、そうか」。そう思ったらすごく気が楽になりまして、次頑張ろうと前向きに新たな気分で目標に向かうことが出来ました。金光様のこの一言がなかったら、私受験失敗にくじけてしもうて人生先に進めんかったかもしれません。「また次の列車に」という、この一言頂いたから、よっしゃ、神様にお願いしてまた勉強しようと頑張ることが出来ましてん。ほんまありがたい一言でした。
人は一人ひとり顔も違えば、言葉も違う。しかし、神様にしたら、一人ひとりが可愛い我が子のようなもんなんやと思います。それは、今もこの先もずっと変わりません。みんながどんな大変なことに出会っても、そこから助かり、お互い仲よう、笑顔になっていくことが神様が一番お喜びになることではないでしょうか。
またお目にかかりましょう。桂かい枝でした。
