夏休みの体験


●こころの散歩道
「夏休みの体験」

金光教放送センター


 「おじさん、魚にエサをあげてもいいですか」
 夏休みも間近となったある日、都会に住む小学五年生の親せきの子どもから、山あいの町に住む我が家にかわいい電話が掛かってきた。
 夏休みの数日を、彼と、弟と母親の3人が、こちらで過ごしたいと言うのだ。さて何をして楽しんでもらおうか。

 2年前、初めて親子でやって来た時、当時4歳の次男、達也たつや君は人見知りが激しくて玄関から一歩も家の中に入ることができないでいた。何と彼は、幼稚園へ行くにも、お母さんと離れられなくて、普通に行けるようになるまで1年以上もかかったという筋金入りらしい。
 実は私、数年前から、趣味と実益を兼ねて、家から7キロ程山に入った所で、淡水魚のあまごの養殖をしている。そこには7千匹余りのあまごの他、ニジマスやチョウザメ、そして人にトコトコとついてくる人懐っこいニワトリも数羽いる。さらにイノシシも2頭、おりの中で飼っている。
 なぜか、私には壁を作らない達也君を兄ちゃんと一緒にその養魚場へ連れて行くことにした。一緒に魚にエサを与え、ニワトリが産んだ卵を探して集め、イノシシにエサを与える。そんな生き物との触れ合いが、一気に達也君の心を開いたようだ。そうして家に帰ると、スゥーと家の中に入って来た。やれやれだ。

 翌朝、いつもは軒スズメの「チュチュ、チュチュ」のにぎやかな朝のあいさつの声で目を覚ますのだが、今朝は違う。子どもたちが部屋の前を行ったり来たりしている。昨日、朝早く魚たちにエサをあげに行くと伝えておいたので、置いて行かれないように待っているのだ。
 子どもたちを連れて養魚場へ向かう。まずニワトリ小屋の戸を開ける。ニワトリたちは、めいめいに卵の産み場所に散らばって行く。あまごにエサを与えると、待ってましたとばかりに、バシャバシャと勢いよくエサに食いついてくる。元気な証拠だ。イノシシも「ご飯だよ」と呼びかけると、大きな図体に似合わず、小さなしっぽを振り振り近寄って来る様は、何とも可愛いものだ。エサをあげると、優しい目を時々こちらに向けながら食べる。サンキューの合図なのだろう。そうこうしているうちに、ニワトリが卵を産んだ気配が伝わってくる。「探しておいで」と言うと、子どもたちはあちこちに産んだ卵を草むらの中から見つけ、「あった、あった」と喜んで取って来る。そんな一つひとつのことが、子どもたちには、おもしろくてたまらないようだ。
 生き生きとして「ただいま!」と言って帰って来る。なかなか家に入ることができなかった昨日とは大変身だ。自然のいのちから元気をもらったようだ。滞在中の4日間、子どもたちの早朝の勤めは、休みなく続いた。
 そんな体験がどのような形で子どもたちの心に残っていたのだろうか。今年の夏休みは家族でどこへ行こうかと話し合うと、「絶対、おじさんとこへ行く」と言ってくれたそうだ。
 今年は5年生と1年生になっていた。「こんにちは」と言って真っ先に入って来たのはあの達也君だった。一段と成長した子どもたちを見て、今回は遊びを兼ねて仕事を手伝ってもらうことにした。
 養魚場の一つの池の中のあまご1千匹余りを網ですくって隣の池に移し、ブラシと噴射機で池を洗う。そうして磨きあげた池にまた魚を戻す作業を次々としていくというものだ。
 子どもたちは思った以上に働いてくれた。大人にひけを取らない仕事振りだった。魚をすくうのは、文句なく楽しいようで、張り切ってやってくれた。子どもたちは役に立てることがうれしいらしく、「次は?」「次は?」と指示を待ってくれる。もっとも、カニを見つけたり、オタマジャクシを見つけたりしては道草をくっているが。
 大人も子どもも楽しくやっているうちに、仕事が遊びになった。遊びが立派な仕事になった。一人ではなかなか根気のいる作業だが、みんなの力が合わさると、こんなにも楽しいものなのだなあ。奇麗な池に泳ぐあまごはとてもうれしそうだ。
 昼食は近くの谷であまごを焼いたり、竹を割って組んで、器も作ってそうめん流しをする。「外で食べるご飯、おいしいね」はみんなの実感だ。

 「あれ、おじさんはあまご食べないの?」
 「うん、おじさんは食べないんだ。あまごは可愛いからな。でも、みんなは、おいしく食べてくれるとうれしいよ」
 「フーン」
 という一幕があった後、あまごを食べる時には、「あまごさん、ごめんね。ありがとう」という言葉が男の子たちの口から出るようになった。
 こうして今回の滞在が終わり、親子は帰っていった。
 後日、兄弟からハガキが送られてきた。たくさんのあまごが泳いでいる絵の下に、大きな字で「来年も絶対に行きます」と書かれていた。

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