土と生きた人


●先生のおはなし
「土と生きた人」

金光教窪川くぼかわ教会
谷口余志子たにぐちよしこ 先生


 私は毎日ご近所の仲間3人と夕方45分ほど散歩しています。大自然に包まれた日本最後の清流と言われる四万十しまんとがわの流域をテクテク歩いて今年で9年目を迎えようとしています。
 時の流れは行き交う人も周囲の風景も変えていきます。季節の移り変わりを目で見、耳で聞き、鼻でいで楽しませてもらっています。
 夜空を仰ぐと時には山の峰から月が顔を出し、辺りを耿耿こうこうと照らします。
 秋になると足元では虫たちの奏でる音色が合奏に聞こえ、応援のリズムとなって一層足取りを軽くしてくれます。道の両脇には草花や木々が色とりどりの花を咲かせて気持ちを和ませてくれるのです。
 この散歩の時間は、まさに天と地の間で、動植物と共に、時の流れに寄り添って生かせてもらっている私なんだと、深く実感させられ、天地の恵みがありがたく、手を合わせてお礼を申す時でもあります。
 歩きながら、ふと今から15年前、96歳でお亡くなりになった田中さんのことを思います。
 この方は私の奉仕する金光教の教会にお参りをされ、口を開けばいつも「ありがたい」と言われる方でした。若いころから畑仕事が日課で、日の出と共に畑に出掛け、日没まで「土」をでるようにして野菜作りをされていました。作物にも言葉をかけながら虫の駆除も手作業でされていました。
 この方は土を「お土」と呼び、特別な思い入れがありました。
 子どものころ、田中さんの父親は、ある方の保証人になったことで、大きな負債を抱えることになりました。しかし、相手を憎むこともなく返済のために夜暗くなっても火をいてまで、一生懸命に畑仕事をしていました。自分の徳を積むこととして取り組んでいたその父親の姿を見ながら育ってきましたので、田中さんにとっても精魂を込めた畑仕事でした。
 ある時こんなことを言われたのです。
 「私はお土を触ると、今は満潮であるか、干潮であるかが分かります」
 田中さんが畑仕事をしている場所は、海抜200メートルもある山に囲まれた台地なのです。よくこの辺りの人はさかきの木を切る時は、日持ちするということで満潮の時間に合わせますが、田中さんは肌で感じる予報士ですから重宝がられます。
 ある人が畑の近くを通り掛かったところ、田中さんがくわを打ち込んだまま動かなくなっていました。びっくりしてそばに駆け寄ったところ、まあー、気持ち良さそうにスヤスヤ眠っているのです。「なんと器用な人よ」「畑が寝床かよ」と後々までの語り草になっています。
 「田中さんに用事があれば家に行くより畑に行ってみいや」と言われるほど、一日中、土にうずくまり、野菜や虫を相手に過ごしていたのです。
 田中さんにとって畑仕事は、天地のお働き、“太陽の光と熱・空気・お水・お土地”、これらの恵みを十分に頂き、心安まる時間であったのです。田中さんはよく話していました。野菜はこの天地の恩恵によって作らせていただいたもので、自分はその手助けをさせてもらっているだけのこと。それなのに、たくさん収穫させてもらい、生命を繋げてもらっている、と。そして収穫した野菜は一番に神様にお供えされていました。神様に作らせていただいたというお礼の気持ちがあつい方でありました。たくさん出来た時は人にもお分けすると「田中さんの野菜はおいしい」と人気がありました。それはお土地の恩を頂き切っておられた方だからなのでしょう。
 世間の人は雨が長く続くと「降り腐る」、そして日照りが続くと「照り腐る」と、不足を言う人もいますが、田中さんは違います。長雨で畑が冠水しても、日照りで水不足になろうとも「これは全て天地のお働きのなさること。無力な人間はありのまま受け入れることです」と、黙々と愚痴もこぼさず畑仕事を楽しんでおられたのです。
 時々息子さんが畑仕事を手伝っていましたが、田中さんは「あんないい加減なことでは作物はよう出来ん。心が入っとらん!」と、言っていました。
 心を込めて天地の恩に感謝して行う畑仕事との違いを戒めておられたのでしょう。
 私たち人間は天と地の間で生かされて生きております。私たちはこのお働きなくしては生きていかれないのです。人間の心臓が絶え間なく動いているのは、天地のお働きがあってのこと。このお働きそのものが神様なのです。
 私も朝、目が覚めましたら、夜中お守りいただいたことのお礼を申して、今日新たな命を頂いていることを喜ばせてもらい、今日一日は新たな日とし、ありがたい気持ちで生活させてもらいたい。昨日お礼申したから今日はいらないでは済まされないのです。毎日食事を頂かないと生きていけないように、今日一日のお願いもお礼も新たなのです。
 私は、田中さんの生きる姿勢に触れ、お礼を申して生活させてもらうことの大切さを改めて気付かされました。
 今日も「おはようございます」とありがたく目覚めることができたかな? 「いただきます」と心を込め、手を合わせて食事を頂けたかな? 人にも物にも心から「ありがとう」と言えたかな? と自分に尋ねながら、共に歩く仲間に「この美しい天地の恵みの中を、こうして無事に健康で、テクテク歩くことができるのは奇跡よね」と、お礼を申さずにはいられないのです。

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