「しか」なんて要らない


●こころの散歩道
「「しか」なんて要らない」

金光教放送センター


 2年前の秋、山の畑へサツマイモを掘りに行った時のこと、いつもの年なら芋はもう充分大きくなっているはずなのに、なぜかその年は、掘っても掘っても、土の中から出てくるのは、ラッキョウの親方くらいの物ばかり。しまいに私は心の中で、「なぜこれだけしか大きくなってないんだ?」そう不満に思ってしまった。
 ところがそう思った瞬間、心の中のもう一人の私が問い掛けてきた。
 「今お前は、これだけしか大きくなってないと思ったが、その不満は、いったい何に対しての不満だ?」

 サツマイモは、芋づるさえ植えておけば、後は大した手間は掛けなくても大きくなるのだが、これは神様が大きくして下さるのだと、私は常々人に話してきた。そんな私が、「まさか、ひょっとして、神様に対して不満を思ってしまったのではあるまいな」。
 そんなことがあって以来、私はそれまで何気なく使ってきた「これだけしかない」の「しか」という言葉がすごく気になるようになってしまった。
 「しか」というと、こんなことを思い出した。

 30年前、35歳の時のこと。夏バテで自律神経がおかしくなり、どうしても物がのどを通らなくなって入院したことがあった。食事ならまだしも、水さえも飲めないのだ。水を飲もうとコップを口元まで近付けると、水のにおいが鼻に付いて、それだけで吐きそうになる。これには参った。それでも入院して3日目、病院で支給された牛乳を恐る恐る飲んでみると、何と牛乳は飲めるのだ。うれしかった。涙が出るくらい、本当にうれしかった。ところが5日目ぐらいになると、うれしさは嘆きに変わっていた。「5日も経つのに牛乳しか飲めない」と。
 食べられないといえば、こんなこともあった。5年前、60歳の時、がんで胃の全摘手術を受けた。予定では、腹くう鏡を使っての手術で、おなかに5つの穴が開くだけのはずだったのだが、術後のおなかには、大きな手術痕が付いていた。どうも私のおなかには思った以上に脂肪が付いていて、仕方なく切ったらしい。万が一の時はそういうこともあると、事前の説明を受けてはいたが、その万が一が起こったというわけだ。
 それでもおかげで術後の回復は順調で、食べることにもすぐに慣れ、14日目には退院出来たのだが、ところが退院して2週間くらい経って、だんだん物がのどを通らなくなってきた。後で検査して分かったことだが、食道と小腸のつなぎ目の直径が9ミリくらいになっていたのだ。手術後1カ月くらい経ってからよく出る症状らしい。こんなに狭くなっていたのでは、いくら食べようとしても食べられないのは当然だった。
 そんなことなど思いもしなかった私は、毎日毎日、必死になって食べようと頑張ったのだが、なかなか思うように物がのどを越してくれない。あまりにも食べられないので2カ月目の定期検査を1週間前倒ししての検査でそれが発覚、すぐに狭くなったつなぎ目を広げる治療を受け、それからは徐々にだが、食べられるようになった。
 5年たった今では、胃が無いことを忘れて食べ過ぎて、後で苦しむことがよくあるのだが、しかし、胃が無いことを忘れて食べられるというのは幸せではないか。
 その、必死で食事と格闘していたころの私はどんなことを思っていたのか気になって、そのころの日記を開いてみたのだが、そこには、「ありがたいことに今日はバナナ1本と牛乳1本、それと栄養ドリンクが1本飲めた」。「今日はおかゆ、豆腐半分食べられた。ありがたい」と、食べられたことばかりが書いてあったのだ。食べられなくて苦しかったはずなのに、日記のどこを探しても、「これだけしか食べられない」と不満めいたことは1行も書かれていなかった。これには自分のことながら感激してしまった。

 「しか」という言葉に続くのは、大抵が否定的なことばかり。例えば、「ボーナスが10万円しか出なかった。釣りに行ったが1匹しか釣れなかった」と。でも決してボーナスは出なかったのではなく10万円出たのであって、魚も1匹は釣れたのだ。同じ事柄でも、捉え方一つで、喜びにでも悲しみにでもなるもの。不足を言ってもどうにもならないことなら、言うだけ無駄。それどころか、不足を言えば言うだけ心がすさむ。それよりも、同じことなら、出来たことを喜んでいたいもの。
 プールに通っている幼稚園児の孫が、「ジイジ、まだ5メートルしか泳げないんだ」と残念そうに言う。「そうか、でもすごいじゃないか。全然泳げなかったのに5メートルも泳げるようになったのか」。 
 出来なかったことを中心にして嘆いて暮らすより、出来たことを喜んで、それを中心にして生きていきたい。だから、私には「しか」という言葉はもういらないのだ。

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