●第4回
「かんべむさしの金光教案内8」

金光教放送センター
おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、4回目でございますが、金光教の教典には、幕末から明治時代にかけての、教祖さんや信者さんたちの、様々なエピソードが収録されております。
そこで今朝は、そこに登場する大勢の信者さんの中から、男性と女性、一人ずつのお話を紹介させていただきましょう。
まず男性は、岡山で漁師をしてる人です。初めは熱心に信心してたんですけど、家のことがどうも都合良くいかず、それである時教祖さんのところへ、「当分信心をやめますから、お社を預かってください」と、それまで祀ってたお社を持ってきました。教祖さんは別に咎めもせず、「それもよかろう。またいる時にはいつでも取りにきなさい」と、穏やかに仰ったそうです。
ところがこの漁師さん、何と10年も経ってから取りに来て、「信心してる間はどうにかこうにかやれてましたが、信心をやめてからは借金ができました」と言いましたので、教祖さんは、「さあ、持って帰りなさい」とお社を渡されたんです。そしたら、これは偶然でしょうか、それとも神様のお計らいなんでしょうか、持って帰った翌日に漁師さんの家に、ある女性の病気について願ってくれと頼みにきた人がいたそうで。願ってあげたらさっそく病状が好転したので、相手は大変喜んで、たくさんのお礼を持ってきました。それで、その漁師さんはまた信心するようになり、のちには借金も全て返せたそうです。
で、このお話で私が思いましたのは、「教祖さんはそのお社を、よくまあ10年も保管しておかれたことだし、漁師さんは漁師さんで、10年経っても、まだちゃんと預かってもらえてると思ったわけなのか」ということでした。誠に気の長い話で、時間感覚の違いに驚きましたが、教祖さんはそれについて、「人は十年は長いように思うけれども、神様にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもないからなあ」と仰ったそうです。
それから、「都合良くいかないので信心をやめます」というのは、現在もよくある話だそうですが、教会の先生が、「信心しててさえうまくいかないのに、やめたらなおさら悪くなりますよ」と言ってあげても、それは、やめさせないための理屈やこじつけだと解釈する人が多いのかもしれませんね。
ちなみに、私は「やめよう」と思ったことはありませんけど、なかなか願いがかなわない時など、「何でや」とか「やっぱり無理なのか」とか、疑問や疑いを持ったりして、本音部分では、やめてるのと同じ心になってることが少なくありません。その意味では、常に「信じ続けてる」というのは、難しいことだなあと思います。
さて。二人目は女性で、当時の言葉でいう 腸満、おなかが膨れてくる病気で難儀して、ある宗教に頼ってたんですけど、3年余りたっても治りませんでした。それで、その夫が教祖さんのところへ願いに行きましたら、教祖さんは、「これは大分ひどくなってるから、何日間で治してあげるとは言えない。しかしその病気にはサフランが効くから、小銭を持ってないのなら用立ててあげるから、買って帰りなさい」と仰り、わざわざ十銭下さいました。
サフランは、今は調味料や食品の着色料にも使われてますが、漢方では婦人病の薬なんだそうですね。ところがその女性、夫が買ってきてくれたそれを煎じて飲みだしたんですけど、しばらくは効果がなく、おなかがさらに膨れて四斗樽ほどになってしまいました。 四斗樽というのは、一升瓶で40本分も入る大きな酒樽で、そんなおなかを抱えてたら苦しくてたまらない。
しかし、その時、急に粟、雑穀の粟ですが、その粟のおかゆが食べたくなって、作って食べたら、そのあとサフランの効果が出て、便意を催しました。
そして何と、それから70日間、毎日、昼は三十何回、夜は四十何回も排泄があって、71日目には元のおなかに戻って、以後何の差し障りもなくなったそうです。腸満は、おなかに液体が溜まるとか、腸閉塞で食べたものが移動できなくなったとか、そんな原因によるものだそうですから、それらが全て排出されたということでしょうね。
そして夫婦二人で教祖さんのところへお礼に参りまして、「貧乏なので、尽くす道がございません」と、お詫びも申し上げました。つまり、まとまったお供えもできませんが、お許しくださいという意味ですね。そしたら教祖さんは、「子どもか孫の代にできるようになるのを、楽しみにしてなさい」と仰ったそうですが、その対応ぶりが穏やかで優しくて親切で、私の好きな話の一つです。
そして現在、金光教の教会は全国に1500ほどありますが、どこの教会でも、先生方は日々信者さんに、このお話の通りの、親切で穏やかな雰囲気で接しておられます。というわけで来週は、その先生方のお話をさせていただきます。ありがとうございました。
