かんべむさしの金光教案内8 第3回


●第3回
「かんべむさしの金光教案内8」

金光教放送センター


 おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、3回目の今朝は、桂松平かつらまつへいという先生のお話をさせていただきます。金光教は幕末時代の備中大谷びっちゅうおおたに、今の岡山県浅口あさくち市金光こんこう町で生まれ、明治時代にかけて山陽、中国、四国、近畿、さらには東京へも広まりましたが、桂先生は九州に広められた方です。
 幕末の安政2年に周防すおうの国の柳井やない、今の山口県柳井市で生まれられ、家は老舗の材木問屋でした。しかし桂先生が跡を継がれてからは商売がうまくいかなくなって、とどのつまり、廃業ということになりました。その後も、母親と二人で暮らしながら、古着屋、たばこ卸商おろししょう、陶磁器販売と、いろいろやったんですけど、全て失敗して財産も無くなり、人に雇われて行商人になられたんですね。
 そしたらある時、出入りの商人が金光様の話をして、信心を勧めてくれました。しかし桂先生、その時には、「狐とも狸とも得体の知れない神様だ」と思われたそうです。ただし、「若い者が信心すれば、40までに家のめぐり、身のめぐりを取り払ってやる」という教えには、心を動かされました。
 「めぐり」というのは「めぐりあわせ」を略した言葉で、金光教内では、先祖代々伝わってきてる不運とか不幸とかを表す言葉です。そして桂家の当主は代々、胃の病気で死ぬと言われてきておりまして、本人もそれを患ってたんですが、どうも胃がんの家系だったようですね。それで桂先生、その時には讃岐さぬきの金比羅こんぴら様を信心しておられたので、その金比羅様に金光様のことを伺ってみようと、長い目の数珠を持ってお願いしました。
 「金光様が本当の神様なら、この数珠で10回が10回とも丁の数を示してください。もし1回でも半が出たら、邪神と思って、以後は心にも留めません」。そして、両手で数珠をじゃらじゃらと押し揉んでさっと開いたら、手と手の間の数珠玉じゅずだまの数が丁と出た。丁は偶数、半は奇数のことですけど、まさに10回とも丁が出て、さらに3回追加してもやっぱり丁でした。とても偶然とは思えない結果が出ましたので、桂先生、以後は金光様を信心しようと決められたんですね。
 そして明治16年の1月、初めて備中大谷の教祖さんのところに、参拝されました。そしたら教祖さんは、こちらが名乗りもしてないのに、「周防の国のお方、遠方をよくお参りでしたなあ」と仰おっしゃった。さらに、誠に優しい口調で、「狐であろうか、狸であろうかと思った疑いが晴れて結構ですな」とも仰った。桂先生、驚いたのと恥ずかしいのとで、ただもう恐れ入るしかなかったそうです。
ただし、教祖さんはその年の10月に亡くなられましたので、桂先生は以後は二代金光様の教えを受けられました。そして胃の病気も治していただけましたので、行商の行く先々で教えのありがたさを説き、人助けをしていかれました。さらには、布教に専念するのが自分の使命だと悟って修行に励み、明治20年、二代金光様の指示によって福岡県の小倉こくらへ布教に出られたんです。
 その時には修行のために、5年間は故郷に帰らない/夏は蚊屋を吊らない/冬でも布団を着て寝ない/夏も冬も着物を替えない/昼夜、横になって寝ない/常に膝を崩さない、と、そんな誓いを立てて、守り続けられたそうです。そして当初は他の宗教から妨害を受けたりもしましたが、明治23年、神道金光教会小倉支所を開設されました。
 そうしましたら、桂先生の強烈な祈りと神様のお力によって、参ってきた人たちの願い事がかなう、悩み事も解決する。評判が広がって信者も増えまして、その中から弟子入りして修行する人も生まれてきました。そしてお弟子さんが新たに教会を開かれ、そのお弟子さんにまたお弟子さんができて、さらに教会を、という具合に出社でやしろ、つまり系列教会が、福岡県内や他の県にも増えていったんです。
 ちなみに、私は長年の上方落語ファンですから、「これは、落語の一門が発展するのと同じパターンやな」と思って、何かうれしくなりました。つまり師匠がいて弟子がいて、その弟子が実力と人気を獲得したら、そこにも弟子入りの志願者が来る。師匠、弟子、孫弟子というように、どんどん人数が増えて広がっていくという構造で、人間国宝になられた桂米朝かつらべいちょう師匠なんか、晩年には曾孫弟子ひまごでしもたくさんできてましたからね。
 で、そんなわけで桂松平先生、多くの弟子を育てられましたが、気性の激しい方でしたから、弟子の育成についても厳格で、教えを叩き込むためによく怒っておられたんでしょうね、弟子たちが「カミナリ」と渾名あだなをつけたそうです。しかし普段はものごとにこだわらず、慈愛深くて、朗らかでさっぱりしてて、大勢の信者さんたちからも慕われた方です。九州は金光教の教会がたくさんあって、信者さんの数も多い地方ですが、その土台はこの先生が築かれたんですね。
 はい。今朝は、のちには「九州布教の祖」と言われるようになられた、桂松平先生を紹介させていただきました。ありがとうございました。

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