●小川洋子の「私のひきだし」その6
第4回「ありがたい」

金光教放送センター
皆様おはようございます。作家の小川洋子です。『私のひきだし その6』、本日、最終回となりました。今日も私が日頃感じている、金光教の信心についてお話できればと思っています。
取材などで移動する際、出版社がグリーン車のチケットを用意してくださることがあります。そういう時、何とも言えず、申し訳ない気持ちになります。死んだ父を思い出すからです。父は仕事で出張する時、いつも夜行バスを使っていました。新幹線、ましてやグリーン車などもったいない、と言って、定年退職するまでその習慣を続けました。
唯一の楽しみは、紙パックに入った安い焼酎を飲みながら、ラジオで阪神タイガースを応援するくらいのことでした。ケチ、と言われればそれまでですが、本人に無理をしている様子はありませんでした。むしろ贅沢をするほうが居心地が悪かったのです。
父は7人きょうだいの4番目。岡山市内にある金光教の教会で育ちました。そのため、慎ましい生活が根っから染みついていたのだと思います。決まった現金収入のない教会で、戦争をはさみながら、7人もの子どもを生み育てた祖父母の大変さは、私になど想像もできません。祖母がこう言っていたのをよく覚えています。
「どうやって子どもたちにご飯を食べさせて、学校までやれたのか、いまだによく分からん。頭で計算したら絶対にできないはずのことが、なぜかできてしもうた」
不思議でたまらない、という表情を浮かべながらも、結論はいつも決まっているのです。つまりは、神様のおかげです。「ありがたい。ありがたい」と言って、祖母は両手を合わせ、小さな背中を丸くして神様にお礼を申し上げていました。
父の生き方の根底を支えていたものを、一言で表現するなら、この、「ありがたい」になるのかもしれません。もっといい汽車に乗りたい、もっと高いお酒が飲みたい、と不満を口にする前に、ありがたい、と感謝を捧げることで、質素な生活の中にある真の豊かさを感じ取っていたのでしょう。
例えば、初めて原稿料をもらった時など、ちょっとしたプレゼントでもしてあげればよかったのですが、私は「まあ、贅沢が似合わない人だから、何が欲しいわけでもないだろう」と勝手に決めつけて、ハンカチ一枚、焼酎一本、プレゼントしたことはありません。何と親不孝な娘か。我ながら呆れてしまいます。グリーン車に乗る時の罪悪感は、親孝行をしなかった後悔の表れです。
不平を漏らすより、感謝をかみしめるほうがどんなに心安らかか。夜行バスに乗るため、ボストンバッグを提げ、玄関を出てゆく父の後ろ姿が、無言のうちに私に伝えてくれています。私にとって、父の信心を受け止めることが、今できる唯一の親孝行です。
頭で考えたらできないはずのことが、なぜかできてしまう。祖母のこの言葉を信じるならば、死んだ親に孝行するのだって難しくはないでしょう。改めて考えてみると、朝、目が覚める。自分が生きているのに気づく。そんな当たり前の現実でさえ、頭でコントロールしたわけではありません。自分の努力を超越したところで、生かされているのです。
小説を書く時もいつもそれを考えます。本棚に並ぶ自分の本を眺める時、今からこれらを全部書け、と言われても絶対に無理だ、と思います。真っ白な紙を、一文字一文字埋めてゆく。誰も見たはずのない世界を生み出し、人物を立ち上がらせる。そんな面倒で根気のいる仕事が自分にできるはずない。
しかしなぜか、できてしまっているのです。目の前に並ぶのは、確かに、自分が書いた作品です。努力した成果だ、などとはとても思えません。私が持っている力など到底及ばない何かが助けてくれなければ、ここまで作家の仕事を続けることはできませんでした。
書けない時、自分一人でどうにかしようともがくのではなく、一旦心を無にして、神様にお祈りします。無力な私を神様にお任せします。一種のあきらめの境地ととられても構いません。すると自然に感謝の気持ちが湧き上がってきます。今、自分の一番やりたい仕事ができていること、生きて、机の前に座っていること、すべてがありがたい奇跡です。
やがて祈りの中から、次に進むべき道の遠くに、ほのかな光が見えてきます。
4回にわたり、私のつたない信心の経験を聴いていただき、どうもありがとうございました。私の話のどこかに、一つでもささやかな光を感じ取っていただけたら、と願うばかりです。ラジオを通し、こうして皆様と出会えましたことに、心から感謝申し上げます。
