●教師インタビュー
「夫の生き方」

金光教放送センター
(ナレ)広島県呉市にある金光教安浦教会で奉仕する山田良枝さんは現在69歳。夫の譲さんは、16年前、病気のため53歳で亡くなりました。
生前、地域社会においても、民生委員やPTA会長など様々なお役を務めてきた譲さん。「夫は人様のためにどれだけのお役を頂いたか分からない。おかげを頂いた人生だった」と良枝さんは言います。
(山田)いろんなことを頼まれても、それはもう皆、「神様のご用」として受け止めるような人でしたから、一つひとつのご依頼に対して親教会でお取次を頂いてから受けさせていただくというようなことを、徹底してする人でしたから。
PTA会長をさせていただいて、PTAの役員さんとか、打ち上げしましょうとかいうことになったら、皆うちに来る。延べ何百人来たか分からないぐらい。皆、「あ、あそこならおれる」っていう感じでね。誰でも来れる場所に、主人がそういうふうに、この教会の位置づけというものをね、してくれて。
そのつながりでいまだにここに来てくれる人もね、たくさん。「山田さんにお世話になったから」っていう感じで。
(ナレ)譲さんに病気が見つかり、病気と闘う姿を側で見てきた良枝さん。譲さんの最期の瞬間にも立ち会いました。
(山田)入院して約1カ月間っていうのが、痛さでね。がんの独特の痛さで。シーツをこうして震えながらこう握るような、歯を食いしばってグッと我慢するような姿も見させてもらったんだけど。それが不思議なことにね。お見舞いに来られると、そういう時には普通に対応できる。すごいなあと思いながら、いつもニコニコニコニコしてるっていう。そういうおかげを頂いた。お見舞いに来た人が心配せずに帰ることができるっていうね。
最期の日、意識があるようなないような状況で、「起こしてくれ」って言うから、私がこう体をね、支えて起こす。起こすと、ハーハーってなって、で横になると、「起こしてくれ」って、それを何回か繰り返して、で、「もう一回起こしてくれ」って言われた時、私は「もういい、もういいから休んでください」って言ったら、この両方のベッドの柵ね、それをもうね、グッと握ってね、「えいっ」とこう起き上がったの。自分で。グッと体を起こして、今度そこでね、正座をするんだけど、向きを変えて正座して、で向きを変えるっていうことは、枕元にご神米をこう置かしてもらっとった、ずっとね。そのご神米に向かって、こうして頭下げた。でそのままゴロンと…。その一部始終を私は見させていただいた。
でその姿を見た時に、「なんてすごい人だ」と思って、死に際にもお願いをせよと言われたそのみ教えを体現した。つらい、悲しいんよ。だけど、もう一方で、ああ、おかげを頂かれたなあって自分の心がフッとこう助かるっていうんかなあ。ありがたいなあっていう気持ちにならしてもらって。
(ナレ)譲さんの生き方は葬儀にも表れ、葬儀場は譲さんを弔い偲ぶ人であふれかえりました。
その後、教会長となった良枝さんのもとに、金光教本部から、大勢の人がお参りするご祭典の前に、お話をしてほしいという依頼が入ります。
(山田)もうね、青天の霹靂。絶対無理って思ったんだけど、主人がね、常々言うとった。「どんなことがあっても、親教会でお取次を頂くということを抜かしたら、おかげにならん」っていう言葉がね、私のこの頭のこっからこっちにずっと流れていったのよ。
その言葉がすーっと流れた時に、すぐその足で親教会にお参りさせてもらって、親先生に「こういうお話がありましたけれども私では力不足ですから、このたびはお断りさせてもらおうと思います」というふうな、お届けの内容だったら、親先生が言われたのが、「ご用に大きい小さいはないでしょう。これからご用をしていく中で、いろんな大きなことが起こってきます。その時逃げてばかりはできないでしょう。神様からのご用を断って、今度神様にお願いした時に、神様に断られたらどうするのですか。受ける受けないはあなたが判断することですが、ありがたく受けておかげを頂かれたらどうですか」と、私、頭下げてそれを聞きながらね、誠にその通りだという気がした。「そうだなあ」っていう思いになった時に、「では、このたびのご用受けさせていただきます。どうぞこのご用がありがたく受けさせていただくことができますように」と言うて下がった。
そっからよ。なんぼ神様お願いしますって、それで終わりじゃいかん。自分ができることは、とことんさせてもらおうと思って、まず原稿作りから始まって。何度も添削をして、覚えるまでもう何百回も練習して、当日。本当不思議なことに、すっごい人がいるのに、全く動じない自分っていうのを感じたの。自分でびっくりして、「ああ、神様のご用に使っていただくいうのはこういうことか」と思った。自分がしとるんじゃないなあっていう経験をその時させてもらって。ああ、ご用に使うてもらったら何の心配もない。できることだけはさせてもらったら、そっから先は神様がさせてくださる。それを感じて、ありがたかった。
(ナレ)安浦教会には、信者さんだけでなく多くの人が集います。
(山田)ご近所さんにしても、私の友人にしてもそう、皆言うのがね、「ここに来ることができるいうのがうれしい」って、来てくれる。うちに来てしゃべって笑って「すっきりした」って帰ってくれる。愚痴もよう聴かせてもらうんですよ。ひとしきりその愚痴を言った後に、「でも、山田さんじゃったらこれ楽しむな、と思った」って言ったんですよ。
私、「神様」とか「信心」とかいうことは言ってないんだけど、どうせせにゃいけんことならね、自分にとって嫌だな、したくないなっていうことでもせにゃいけんことっていっぱいあるじゃないですか。じゃったら楽しんでせんと、損だっていうことを、常に私は言ってるらしいんですよ。
「山田さんやったらこれ楽しむなと思ったけ、うちも楽しむことにした」ってこういう言い方をね、したんですよ。「ああありがたいな」と思ったんですよね。
(ナレ)夫の生き方を胸に、ご用に励む良枝さん。安浦教会には今も、人々の笑顔が集まります。
