●ラジオドラマ「ことの葉じんわり」
第2回「不合格おめでとう」

金光教放送センター
登場人物
・哲男 (受験生)18歳
・信一 (父)50代
・安江 (母)40代
・とめ (祖母)80歳
(うぐいすの声)
と め:あぁ、うぐいすが鳴いてる…いい音色だねえ…今日から3月。庭の桃の花のつぼみが日に日に大きく膨らんで…。
信 一:…恐れていた「3月」が、ついにやって来た…。
安 江:あなたー、のんびり庭を眺めてないで、神様にお祈りしてくれたの? …あッ、花瓶のお花がしおれてる。
信 一:縁起が悪いな。水、替えてッ。今日は運命の日なんだから。母さん、携帯。
安 江:首に掛けてあるわ…お水、取り替えましょう。(水をジャーッと庭にコボす音)
と め:庭に捨てたりしてもったいないねえ…3月、今年もまた3月が巡ってきた…。
(ナレーション)
3月。受験シーズンも終盤となりました。信一さんの家庭でも、一人息子の哲男君の受験した最後の大学の、今日は合格発表の日なのでした。
(夜更けを現わす音)
安 江:(いらいらして)遅いなあ。何をしてんでしょう、哲男。
信 一:やっぱりダメだったか…。
安 江:まさか…悲観してホームから…。
信 一:不吉なことを言うんじゃない。落ち着け! 落ち着けッ!
安 江:あなただって、さっきから火の点(つ)いてないたばこをくわえっ放しじゃないの。
(玄関の戸開く)
安江 信一:(同時に)あ、帰ってきた!(帰ってきたわ!)
信 一:お前、迎えに行け!
安 江:あなたが!
哲 男:…ただいま。
安 江:(妙にはしゃいで)哲ちゃん、お帰り、お帰りなさーい。
哲 男:ダメだった。寝る。
信 一:あっそう、そうか。
安 江:哲男、お風呂は…!!
哲 男:「寝る」って言ってんだろ!
信 一:温まった方がよく眠れると思うが。
哲 男:眠れるわけないだろ。これから1年間、また地獄のような受験勉強が始まるんだから。
安 江:「運」が悪かっただけなのよ。ね、お父さん。
信 一:う、うん…うん…。
安 江:(カッとなって)「うん」だけなの? もっと気の利いた慰めの言葉が!
哲 男:(ムッとして)誰も慰めてくれなんて言ってやしない。寝る。(去る)
安 江:あ、あなた…。
(ナレーション)
ふてくされた哲男君が自分の部屋に入ろうとした時、祖母・とめさんの部屋の明かりがまだ点いていました。
哲 男:(不思議そうに)おばあちゃん、まだ寝てなかったんだ…。
(ナレーション)
哲男君がとめさんの部屋の前に行くと、明かりが漏(も)れる障子の奥から…。
と め:お帰り。おめでとう!
哲 男:…え?
(障子開ける)
(ナレーション)
びっくりした哲男君が障子を開けると、とめさんがいつものように神棚の前に正座をし、ニコニコしながら哲男君を見ていました。
哲 男:…ただいま…。
と め:(落ち着き払って)お帰り。
哲 男:おばあちゃん、今、何て言ったの?
と め:「おめでとう」って、そう言ったんだよ。
哲 男:何で? 受けた大学、全部落ちたのに…。
と め:そんなに不思議がることはないよ。哲男ちゃんは人様よりも1年間も余計に勉強することが出来るんだよ。運がいいねえ…こんなにうれしいことはない。今から最高の人生が始まるのよッ。ホホ…ホホホホ。(心から楽しそうに笑う)
哲 男:(つぶやく)…おめでとう!…不合格、おめでとう…か! 1年間、人より余計に…運がいい…そうか…よし!
(ナレーション)
翌日から、哲男君の猛勉強が始まりました。
(朝、鳥の声)
哲 男:(生き生きと)おやじ、悪いなぁ…予備校代、快く出してくれて。じゃ、行ってきまーす。
安 江:…哲男、何だかすっかり元気になって。どうしたのかしら…。
信 一:よく分からんが我々もピリピリし通しはかなわんからな。
(うぐいすの声)
(ナレーション)
1年が経ち、また3月がやってきました。桃の花のつぼみが膨らみかけたころ、哲男君は念願の第1志望の大学に合格することが出来ました。
安 江:(涙ぐんで)あ、あなた…!
信 一:お前もよく頑張ったな。毎日の弁当作り、お疲れさま!
安 江:(ワッと泣く)
哲 男:おばあちゃんはあの時どうして不合格なのに「おめでとう」って言ってくれたの?
と め:(ちょっと、考えてから)…「有り難う」って、書いてごらん。この紙の上に。漢字で。
哲 男:漢字で「有り難う」って?…書いてみる。…この字が、どうかしたの?
と め:…3月になると、おばあちゃんは決まって思い出すんだよ。もう70年も昔の話だけれど。
哲 男:…70年前?
と め:戦争で東京中が焼け野原となった…その時、おばあちゃんは10歳。一晩中逃げ回って、ようやく夜が明け、火事も収まり、一息ついた時に見知らぬ人から恵んでもらった1杯の水のおいしかったこと。今でも決して忘れることが出来ない…。
哲 男:(大きくうなずく)それでおばあちゃんは、いつもお水を飲む度(たび)に手を合わせているんだね。
と め:おばあちゃんが味わった恐ろしい戦争の体験とあんたの受験とを、比べたりするのはおかしいけれども、つらい悲しい思いをすることによって、お前が本当の有り難さに気付かせてもらえるんじゃないかと思って…。それでおばあちゃんは心から「おめでとう」って、そう言ったんだよ。
哲 男:…本当の有り難さ?
と め:おばあちゃんはこの字が大好き! 「難が有る…難が有るからこそ有り難い!」
哲 男:(独白)「難儀」なことがあって、初めて分かる本当の有り難さ…、おばあちゃん有り難う! 僕はこれから強くたくましく生きてゆくよ。有り難う!
