●先生のおはなし
「お寿司を食べに行った話」

兵庫県
金光教曽根教会
島谷一久 先生
私の父は40歳という若さで突然亡くなりました。当時まだ幼かった私は、亡くなった父のおなかの上で遊び、その姿が余計に周りの涙を誘ったそうです。
それから年月が経ち、私が30歳を越えたころのことです。
「考えてみれば、親父はあと10年の命だったんだな。そんなに早く亡くなって、さぞ悔いが残っただろうな。私だったら、死んでも死にきれないなあ」
そんな思いが時折頭をよぎるようになりました。そして、「もしかするとこの私も、あと十年しか生きられないのかもしれない」という不安が、しだいに重苦しさを増していったのです。
そこで私はある教会の先生に、父のことについて、胸によどんでいる思いを正直に打ち明けました。すると先生は、
「あなたのお父さんは悔いは残っとらん。けども思いは残っとるんぞ」と言われました。
「思いが残っているとは、どういうことですか?」と私が尋ねますと、「亡くなるというのはなあ、姿形が無くなるということで、御霊は生きて働き続ける。可愛い息子のことじゃもの、お父さんは、亡くなってから今に至るまで、片時もあなたのそばを離れずに、守り続けて下さっとるんぞ」と、教えて下さったのです。
その時ふと、数年前の思い出が記憶の底からよみがえってきました。
それは、私の一番下の弟が成人式を迎えた時のことです。普段私は兄貴らしいことを何一つしてこなかったものですから、こういう時ぐらいはお祝いをしてやろうと思い立ち、弟に、「おまえの好物の寿司をごちそうしてやる」と声を掛け、2人でお寿司屋さんへ出掛けたのです。
そのお寿司屋のおじさんは、私の父の大親友だった人で、父が亡くなってからもずっと私たち家族のことを心に掛けてくれ、姉の結婚式にも出てくれる、そういう心安い間柄でした。
とはいえ、そのお寿司屋さんは値札の掛かっていない、いわゆる高級店です。ですから、私はわずかな貯金を下ろし、そのなけなしのお金を握りしめてカウンターにつくなり、「今日は弟の成人のお祝いなんです。おじさん、今日はこれだけのお金を持ってきているから、この範囲で食べさせて下さい」と頼みました。続けて、「今日は親父と一緒に来ました」と、懐から父の写真を取り出して、カウンターの上へ置きました。
正直に申しますと、写真まで持ってきたのは、少々下心があってのことでした。「今日は親父と一緒にお祝いです」と言えば、おじさんはきっと喜んで、サービスしてくれるに違いない、と思ったからなのです。その期待は見事に的中し、おじさんは大変喜んでくれ、そして父との懐かしい思い出話をしながら、こちらの予算以上にたくさんごちそうしてくれたのでした。
その時のことを思い出し、〝御霊が生きて働き続ける〟とは、こういうことではないだろうか、と思いながら、私はその話を先生に申しました。
先生はジッと私の話を聞いて下さり、そしておもむろに、こうおっしゃったのです。
「あなたは、自分が写真を持って行ったと言うが、そう思っておったら、それは違うぞ。あなたのお父さんが、子どもたちと一緒に親友のところで寿司を食べたいと思って、あなたたち兄弟を連れて行ったんぞ。お父さんには、悔いは残っとらんけどな、こういう子を思う親の思いが残っとるんぞ」
私は目から鱗が落ちました。
「先生の言われる通りに違いない。父は、よくぞここまで大きくなってくれたと、私たちの成長を喜んで、お祝いしてくれたのだ…」
私はその時、父の温もりにじかに触れたような気がして、胸が熱くなりました。
家に戻った私は、父の霊前に座り、「お父さん、あなたは御霊様になって私たちを守って下さっているんですね。今日はそのことをよく分からせてもらえました。ありがとう。元気を出します。これからも、いつもお父さんと一緒です。またお寿司に行きましょう。いや、連れて行って下さい。付いて行きます」と、拝まずにはいられませんでした。
私の家では、神様と、ご先祖の御霊様とをお祭りし、毎日必ずそこへ座ってお祈りをしています。それはずっと以前から続いている習慣なのですが、このことがあって以来、祈る時の私の気持ちが、少し変わってきたように思います。
こちらから拝んでいるというよりも、逆に神様やご先祖様の方が、こちらより先に私たち家族に向かって、「どうかみんな幸せであってくれよ」と、拝むように願いを掛け、手を差し伸べて下さっているのではないか、という気がしてきたのです。
そんなふうに感じるようになってしばらくした頃、ふと気が付けば、私を苦しめていたあの思い、「長く生きられないかもしれない」という不安は、いつしか霧が晴れるように消え失せていました。
私がそんな不安に取りつかれていたのは、こちら側から一方的にお願いするばかりで、神様、御霊様の温かいお心を感じ取ろうとしていなかったからなのだと思います。 これから先、私にとってうれしいことや楽しいこと、また、つらいことや苦しいこともあるかと思います。しかし何があろうとも、この神様の思い、親先祖の思いをしっかりと受け止めていけば、元気な心で生きていけると、私は確信しています。 私は今日も、心新たに、神前、霊前に拝礼します。私の願いを届かせるためだけでなく、神様、御霊様の温かさに触れるために。そして周りの人々に、この温かさを伝えてあげたいと手を合わせます。
