雪かきの心


●先生のおはなし
「雪かきの心」

富山県
金光教富山とやま教会
三浦義雄みうらよしお 先生


 私の郷里は北陸地方にあり、冬には必ず雪が降ります。県境に連なる3千メートル級の山々に積もった万年雪は、清らかな雪解け水となり、季節を問わず豊富な水を恵んでくれています。
 近年は暖冬のせいか、それほどでもありませんが、私が小さな頃には、平屋の家が埋もれるほどの雪が降ったものでした。近くのお寺の屋根からスキーをしたり、屋根から落ちて山のようになった雪に穴を開けてかまくらを作ったり、友達と雪玉をぶつけ合って遊んだのを、今でもよく覚えています。
 しかし、子どもの頃、遊び友達であった雪も、大人になると、厄介なもの、嫌なものになります。主な生活道路は除雪車が降り積もった雪を取り除いてくれますが、外に車を止めている人は、出勤前、雪が積もるたびに、車に積もった雪を落とし、道路まで除雪しなくてはなりません。特に、体の不自由な年老いた人にとって、雪かきをするのは、実に大変なことです。でも、それが雪国では当たり前の生活なのです。

 私たち家族が、私の郷里にある教会で生活をするようになって、今年で11年になります。雪が積もれば、教会の駐車場の雪かきをしなくてはなりません。大きなスコップで、雪を用水路に運び入れたり、駐車場の周囲に積み上げるのですが、全体を除雪するのに1時間以上かかります。
 私は雪国育ちですから、冬に雪かきをするのは当たり前です。けれども妻は、温暖な瀬戸内地方で生まれ育ち、雪に囲まれた生活は初めてです。いっしょに雪かきをしてくれるのはありがたいのですが、何年もするうちに、だんだん、嫌になってくるのではないか気がかりでした。

 特に昨年の冬は、例年になく、たくさんの雪が降りました。夜、寝る前にきれいに除雪しても、朝、3、40センチ積もっている日が結構あり、一日に何度も雪かきをしなければなりませんでした。
 そんなある日、妻は「雪が降る前日の夜の、しーんと張りつめた空気が大好き。雪が降ると、玄関を開けて『あ、雪が降った』とうれしく感じるの。『雪って、どうしてこんなに降るんだろうなあ』とワクワクするわ。なぜか雪が嫌いになれなくて…」と、うれしそうに話してくれました。妻が、いつまでも子どものような心で、楽しそうに雪かきをしてくれるのは、本当にありがたいことです。

 ところで、雪かきをする時、いつも思い出すのは、11年前、妻と初めて一緒に雪かきをした時のことです。  当時、隣のビルの1階に喫茶店があり、時折、教会の駐車場の一部を無料で使ってもらっていました。それで私は、「喫茶店のお客さんが使う3台分くらいは、喫茶店の方が除雪すればいいだろう」と考え、雪かきをしないで、そのままにしておきました。
 ところが、妻はそこも雪かきをしようとするのです。私は「そこは喫茶店で使っているから、そのままにしておけば、自分でするんじゃないか?」と言いました。
 すると妻は「いいじゃない。してあげれば向こうも助かるし、それに私、雪かきが好きだし…」と、楽しそうに、黙々と雪かきを続けました。  「3台分でも雪かきをしない方が楽なのに…」とも思いましたが、私も一緒にしました。そして、駐車場全部の雪かきを終えた時、私はすがすがしい喜びで心が満たされているのに気付いたのです。

 金光教祖は「農業する人は、自分の田の水の様子を見に行ったら、人の田の水も見てあげれば、人もまた自分の田の水を見てくれる。互いに親切にし合えば、人も喜び、神もお喜びになる」とおっしゃっています。
 自分さえ良ければいいという思いを越えて、お互いに親切にし合えば、人が喜ぶだけでなく、神もお喜びになると言われるのです。 私は、小さな頃から何度となく雪かきをしてきましたが、その時初めて「ああ、そうなんだ。これが雪かきの本当の喜びなんだ」と思わされました。
 それはきっと「お参りされる信者さんのために」というだけではなく「教会とは関係ない見知らぬ人のために」という思いを神様は喜んで下さり、そんな神様の喜びで私の心が満たされたからでしょう。
 私は、雪が積もれば雪かきをするのは当たり前と思ってきました。とはいえ、実際に何度もするのは大変ですし、特別の報酬がもらえるわけでもありません。ですから、「出来るだけ余分なところはしないで、自分が使うところだけすればよい」と考えていたのです。
 しかし妻は「たとえ、人から評価されなくても、報酬がなくても、自分以外の人も助かるのだから、余分に雪かきができるのはありがたい」と思っていました。
 妻が教えてくれた「雪かきの心」は、私が気付かずに持っていた「自分さえ良ければそれでいい」という利己的な思いをとかしてくれたように思います。そして、私の中に芽生えた「雪かきの心」によって、雪かき仕事は思いもかけない喜びをもたらしてくれたのでした。また、それ以来、喫茶店の方と親しく言葉を交わすようになったこともありがたいことでした。

 それから、11年。私は、数年前から腰を痛め、それまでのように素早く、力強く雪かきが出来なくなりました。しかし、いつまでも「雪かきの心」を忘れず、楽しく、ありがたく、雪かきを続けていきたいと願っています。

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