きっと神様は私のために


●先生のおはなし
「きっと神様は私のために」

宮城県
金光教石巻いしのまき教会 
井上直文いのうえなおふみ 先生


 私の長男・道夫が幼稚園の時の出来事です。


 ある日、担任の先生からの連絡帳に、私たち夫婦の目を疑うような言葉が書かれていました。「今年のお遊戯会で、ぞう組は『がんばれ! スーパーピーチマン』という劇をします。道夫君には、その大役をしてもらいます。明日から練習を始めるので、お父さんお母さんも応援してあげて下さい」と。


 ぞう組というのは、長男のいる年長組のことで、「がんばれ! スーパーピーチマン」というのは、いわゆる「桃太郎」のお話のことです。親である私たちは、「どちらかと言えば、おとなしく、引っ込み思案な道夫が大役である主役のスーパーピーチマン、桃太郎だなんて」という驚きと、「そんな道夫がみんなの前で主役を演じることが出来るほどに成長したんだ」という喜び、そして、「みんなの注目の的じゃないか。カッコいいぞー、頑張れよー」という期待に胸躍らせました。


 その翌日、長男がお遊戯会で着る衣装を持って帰って来ました。そして、またまた、目を疑うようなことが起こったのです。その衣装を見てみると、白い長袖、長ズボンに茶色い斑点、そして、耳の付いたかぶり物…。どこから見ても、何回見ても、大役であるスーパーピーチマン、桃太郎ではありません。そうです!「大役ではなく、犬役」だったのです。慌てて連絡帳を見直すと、間違いなく犬役と書かれているではありませんか。私たちの単なる見間違い、早とちりだったのです。


 私たちは、「なんだよー、犬役かー。脇役だなー。もうちょっと目立つ役だったら良かったのに…」という、ほんのちょっとの失望と、「そうだよねー、道夫の性格からして、まさか大役なんてねー」という妙な納得、そして、実に身勝手な勘違いをしていたことに反省しきりでした。


 それから数日間、毎朝、「道夫。今日も犬さんの練習頑張っておいでよ。お遊戯会の日、楽しみにしてるから」と、言葉では言いつつも、大役と犬役の落差をぬぐい切れません。


 長男はというと、毎朝張り切ってお迎えのバスに乗り込み、楽しく精いっぱいに犬役の練習をして帰ってきます。長男にとっては、大役であろうと犬役であろうと、主役であろうと脇役であろうと、そんなことは関係ないのです。大好きな先生から、「道夫くん、犬さんの役、頑張ってねー。犬さんがいないと、スーパーピーチマンも鬼退治が出来ないんだからね」と頼まれ励まされ、与えられた犬役に大喜びで一生懸命に取り組んでいるのです。


 そして、お遊戯会当日。長男は、「あっ! 鬼ヶ島が見えてきたぞ!」という犬役として一度だけのセリフをパーフェクトにこなし、練習通りに、決して目立ちはしないステージの端の方で、赤鬼Bとの太刀回りを立派に演じきり、ぞう組の「がんばれ! スーパーピーチマン」は大成功に終わりました。


 そして最後、ぞう組のみんながそろってステージに立つカーテンコールの時、長男は、保護者席の私たちを見付け、嬉しそうに、どこか誇らしげにニッコリと微笑んでピースサインをしてくれました。親である私たちには、犬役の長男が、主役のように輝いて見えました。


 そして、この出来事にはまだ続きがありました。


 お遊戯会の数日後。長男の大の仲良しの親御さんから、思い掛けない嬉しいことを言ってもらいました。「道夫くん、本当に楽しそうに犬さんの役頑張ってましたねー。うちの子も、『道夫君と一緒に犬さんをやりたかった』って言ってたんですよ」と。犬の役を楽しそうにやってる長男の姿が、その友達にも何だか良さそうに見えて一緒にやりたくなったのでしょう。


 後で考えてみて、先生は、クラスの子どもたち一人ひとりの持っている個性が充分に発揮出来るように、そして、クラスみんなの力で「がんばれ! スーパーピーチマン」の劇が成功するように、よくよく考えて、長男にとってもクラス全体にとっても一番良い役目として犬役を用意して下さったことでしょう。長男はその与えられた犬役に何の不足もためらいもなく、喜んで一生懸命に取り組んだことでしょう。


 この出来事を通して、私は「神様は、どんな時でも、一人ひとりが幸せになるように、その人その人のために一番良い道を用意してくれている。そして、みんなが共に幸せになることを願っている」という金光教の教えを思い出し、この出来事での先生と長男の関わり方が、神様と人とのあるべきかかわり方に思えてなりませんでした。


 私たちの生活の中で、自分の思い通りでない事柄や損と思うような役回りに出合った時、「嫌だなー」とか「つまんないなー」と思うのではなく、「これはきっと、神様が私のために一番良いと用意して下さったことなんだ。そして、周りの役に立つことなんだ」と思いを変えて前向きに取り組むことで、自分にとっても、周りにとっても、良い方へと事が進んでいくのではないでしょうか。


 私も家庭や仕事や地域社会の中で起きてくるすべてのことを、「これはきっと神様が私のために…」と受け止めて、前向きに取り組む稽古をしていきたいと思います。あの時、長男が犬役を喜んで精いっぱい練習し、演じた姿のように。そして、それが自然と周りの人にも共感してもらえるようになったら、なお嬉しく、ありがたいことだと思います。

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