神様との出会い


●先生のおはなし
「神様との出会い」

岡山県
金光教宇野西うのにし教会 
仁科信枝にしなのぶえ 先生

 ある日、夕食の用意をしていた私の横で、食事が出来上がるのを待っていた子ども4人の会話から、「神様なんていないから」という19歳になる長男の声が聞こえてきました。会話に加わっていなかった私は、何も口を挟むことなく、その長男の言葉で終わった会話に、寂しさを感じました。

 金光教の教会で育ち、いつも神様の話を聞いて育っているはずなのに、どうして「神様なんていない」と言うのかが不思議でしたが、「そうか、まだ神様に出会っていないんだなあ」と思いました。

 今思えば、私も学生のころには、長男と同じ思いだったし、神様なんてよく分からないという時期があったように思います。40代になった今も、子どもたちにうまく説明出来ず、自分に問いかけながらの毎日ではありますが…。 

 私は短大時代にアーチェリー部に所属し、勉強ではなく8割方、アーチェリーをするために通学していました。もちろん、短大の2年間ではあまり上達せず、義兄がアーチェリーのコーチでもあったので、短大卒業後も趣味程度に、仕事の合間に楽しんでいました。

 短大を卒業した20歳の夏、国体選手の選考を兼ねた県大会に、社会人として出場しました。ありがたいことに、当時、社会人女性のアーチェリー人口は少なく、数名の参加者の中で一位になると国体選手になれるという状況でしたが、趣味程度の私には関係のないこと。試合を楽しもうという楽な思いで参加しました。ところが、成績中間発表で、なぜか私が一位。このまま一位を維持すれば国体選手になれるという状況でした。関係のないことと思っていたのに、こうなると負けず嫌いな私は、何としても一位になりたいと思い始めました。そして、たぶん初めて「神様、お願いだから私に勝たせて!」と思いました。

 しかし、こういう思いも寄らぬ成り行きで、急に緊張し始め、手も足も震えだすほどです。手足が震え、フォームが崩れると、矢は真っすぐ飛びません。一位どころか、一気に順位は下がります。そこで、私が自然に取った行動は、一本の矢を撃つごとに願いを込めるということでした。「どうぞこの矢が真っすぐ的の真ん中に届きますように、落ち着いて撃たせて下さい。どうぞ神様、力を貸して下さい」。渾身の力で願い、そして今まで教わってきたベストのフォームを心がけ、一本一本丁寧に撃ちました。

 すると、どういう力が働いたのか、つるを引く右手、右腕に、自分の力以上の力が加わったような、何かが私を助けてくれているような、一緒に弦を引いてくれているような感じがしました。とても緊張しながら、独りぼっちでガチガチになりながら競技をしている私は、誰かがそばに一緒にいてくれるような安心感が湧いてきました。

 「きっとそばに神様がいる」。直感的にそう思い、その不思議な出会いに驚き、喜び、安心しながら試合を続けました。結果は一位。しかし、試合に勝った喜びよりも、神様に一生懸命心を向ければ、神様に出会えるのではないかということを知った喜びの方が大きかったように思います。

 その後、25歳で結婚し、翌年、長女を出産しました。妊娠中の健康状態も良く、初産なのに3時間ほどで長女は生まれ、初めて我が子を胸に抱いた時、言葉では言い表すことの出来ない喜びを感じる反面、「どうやってこの子は自分のお腹の中で出来てきたんだろう。私が目や口、手を作ったわけでもないのに」。人間として私のお腹から現れたことが不思議でならず、医学的には説明出来るのでしょうが、私はこの時、素直に神様の力を感じずにはいられませんでした。まさしくこの子は神様の子。神様から授かり受けた子。私の子、私の物ではないと言う思いが広がりました。

 このことは、20年間、4人の子どもを育てさせて頂く上で、私の子育ての土台、基本になっています。しかし、自分の思うようにならず、声を荒げて子どもとぶつかり合うことも度々。その都度、我が子であっても神様の子。一人ひとりの個性を大切に、神様の子として接していこうと、長女を出産した時のことを何度も何度も思い返しているところです。

 さらに、先日のことです。ある女性が命を救われたという話をお聞きして、私は今日まで大きな病気や事故にあったこともなく、命を救われた経験など無いなあと思った瞬間、5歳の時にトラックにひかれそうになった場面が鮮明に浮かび上がってきました。狭い道を直進してくるトラックに気付かず、私は道路を横切ったのです。間一髪のところでトラックが止まり、事なきを得ました。そのことははっきり覚えていて、その恐かった経験から、私は何をするにも用心深い性格になってしまったのだと思っていたのですが、ただそれだけではなく、40数年経った今、「あの時、神様に命を助けて頂いたんだ。命を助けて頂いたにもかかわらず、何のお礼もしていないのに、今日まで元気にお育て頂いてきた。何と申し訳のないことだろうか」と、思いはあれこれと広がります。

 今更ながら、あの時のお礼、今まで気付かなかったお詫び、そして今新たに、自分の命を助けて下さり、ずっと私の側にいて下さる神様に出会えたお礼を日々させて頂いているところです。

 私は、このように、神様と出会うことが出来ました。その出会い方はそれぞれ違います。神様に対する感じ方も違います。その中で、その時、自分の心がどういう向きであったのか、どうすれば神様に出会えたのかをしっかり思い出し、日々生活しています。

 「神様なんていない」と言う長男にも、いつの日か、神様に出会える日が来ることを願うばかりです。

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