いのちの鼓動


●先生のおはなし
「いのちの鼓動」

福岡県
金光教直方のおがた教会 
藤本有輝ふじもとゆうき 先生


私は今42歳ですが、2年前、背中や胸をグッと押さえつけられるような痛みを感じるようになりました。

 それは、仕事が終わった時やお風呂につかっている時、また夜休む前といった、決まってほっとした瞬間に起こってきました。最初のうちは、筋肉痛と思ってあまり気にしないでいましたが、その症状が時々に起こってくるので、もしかしたら病気かもしれないと心配になりました。

 このことを妻に話すと、妻もやはり心配し、近くの病院で診てもらいました。検査結果は「狭心症の疑いはありますが、ここでははっきり分かりません」とのことです。そこで隣町の大きな病院で診てもらうことになりました。有り難いことに、そこには心臓病の権威といわれる先生がおられたのです。

 病院へ行く前の日、いつもお参りしている金光教の教会へ行き、先生に事の次第を話しました。教会の先生は「それは心配ですね。しかし、まずは神様にこれまで40年間、あなたが命を頂いてきたことをお礼申しましょう。その上で、病院で検査が間違いなく出来て病気かどうかはっきりするように神様にお願いしましょうね」と言われました。

 翌日、朝早く病院へ行き、循環器系の受付フロアに向かうと、そこは人であふれかえっていました。よく見ると大きな荷物を抱えている人が多いのです。話を聞いてみると、前の日から来てホテルに泊まっていた人がほとんどでした。電車を乗り継いで来た人や飛行機に乗ってきた人もいました。この病院の先生の評判を聞いて日本各地から来ていたのです。長い間待たされてうんざりする気持ちがどこかへ吹き飛びました。

 午前中にようやく一つの検査を受け、午後にもいくつかの検査を受けて、先生の問診を受けられたのは午後5時でした。先生は、私の話を聞いて「2日後にもう一つ大きな検査をし、来週に結果を話す」と言われました。私は言われるままに2日後検査を受け、翌週、また待たされる覚悟を決めて病院へ行きました。すると、その日は一番に呼ばれました。

 先生は開口一番、「やはり狭心症ですね」と言われました。続けて「でも、あなたの場合は少し違うんです。普通、狭心症というのは、心臓の周りにある冠状動脈がコレステロールなどにより動脈硬化が進み、血液が流れにくくなって起きます。しかし、あなたの冠状動脈には動脈硬化が見受けられないので、冠状動脈自体がけいれんを起こして血液が流れにくくなる異型狭心症です。異型とは異なる型と書きます」と紙に書いて説明してくれました。

 「先生、これからどうすればいいのですか」と尋ねますと、「発作の時はニトログリセリン錠という薬を使って下さい。ただそれだけです。恐らく治ることはないので、これからずっとこの病気と付き合って下さいね。あなたの病気は安静時に起きるから、大いに働いて結構ですよ」と先生は言われました。

 「何か気を付けることはありますか」と私が押してお聞きしますと、先生は「疲れやストレスをためないことです。あと、薬は常に持ち歩いて下さいね」と言われました。私は「ありがとうございました」とお礼を言い、病院を後にしました。

 その時の私は複雑な気持ちでした。病気が分かってホッとしたものの、これから一生この異型狭心症という病気を抱えて生きていかねばならないこと、その発作がいつ起こるか分からない中での生活を考えると、目の前が真っ暗になってきました。

 病院の帰りに教会へ行きました。教会の先生に病気のことを話すと、「病気のことがはっきり分かって良かったです。それにしてもあなたはまだ若いのに大変ですね」と言われました。

 私は「先生、そうなんです。これから先、一体どうすればいいのでしょうか」とお聞きしますと、先生は「あなたはこれまで心臓にお礼を言ったことがありますか」と反対に聞き返されました。私は「ありません」と答えました。すると先生は大きな声で、「病気のとりこになってはいけません。あなたは病気があっても働けるではないですか。まずそのことを喜ばないと。あなたの心臓は一日も休みなく働き続けているのですよ。その心臓にお礼を申しましょうね」と言われました。

 考えてみると確かに今まで生きてきたということは、心臓がずっと休むことなく動き続けてきたということです。さらに先生は「私たちは神様から命を頂いて生かされて生きているのです。今日生きているから明日の命もあるなんて誰にも分かりませんよ。神様に命のお礼を申して、一日一日を大切に過ごしていきましょう」と私に勇気を与えるように優しく話してくれました。

 その後、病気のことを忘れてしまうほど普段は元気に働くことが出来ました。しかし、ふと思い出したかのようなタイミングで、発作が起こります。そういう時はやはり心配になりますが、薬を頂きながら教会の先生のお言葉を思い出し、苦しい胸に手を当てて心臓にお礼を申します。するとなぜか苦しいのに安心感に包まれていくのです。それはたぶん神様が必死に私を生かそうとすることが、心臓の鼓動を通して感じられたからだと思います。

 あれから2年の月日が流れました。今、私は毎朝目覚めると、胸に手を当てて、心臓の「ドク、ドク」という鼓動を感じつつ、神様に命のお礼を申すことにしています。心臓の鼓動を通して、神様が私を生かそうとして下さるのが本当に有り難く感じられます。

 これからも、神様が私を生かして下さる限り、命を頂いている喜びをかみしめて、大切に生きていきたいと思います。


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