●信心ライブ
「自分を大切に 人を大切に」

金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、金光学園中学・高等学校校長の金光道晴さんが、令和6年、金光教名古屋センター主催の「ライフ―いのちとくらし―」の公開講座でお話しされたものを紹介します。
金光学園では、「人をたいせつに 自分をたいせつに 物をたいせつに」を合言葉にしているそうです。
一見、両立しないように思える「人を大切にする」ことと「自分を大切にする」こと。皆さんは、この二つを兼ね合わせて生きていくって、どういうことだと思いますか?
では、金光校長のお話を聞いてみましょう。
(金光)「人をたいせつに 自分をたいせつに 物をたいせつに」というのは私どもは合言葉という言葉で言っております。
したがって本校の生徒であれば、合言葉を言いなさいと言ったら、たぶん中1から高校3年生までスラっと今の言葉を言うと思うんです。
「人をたいせつに」と「自分をたいせつに」。どういう関係なのか。
私どもが生徒であった時の佐藤一徳先生という五代校長はですね、やっぱりそれは「中心は自分だ」というふうに説明されておった文章や言葉がございます。「自分を大切にできるからこそ人が大切にできるんだ」と。
自分の利益とか自分の勝手なというか、まあ、そういうものを利己的なものを持って「自分をたいせつに」ということではなくて、「自分を大切にできるからこそ人も大切にできる」。
私は、昨日、一昨日ですか、高3の宗教の時間で、最後の時間は性教育をさせてもらうんですけれども。
これは男子生徒も女子の生徒にもですね。やがて一人暮らしをするようになる。あるいは一人暮らしをしなくても、親元を離れなくても、やっぱり大学生になると少なくとも自由と責任が大きく変わるだろうということの中で、「性」ということについて大切にするところがあるんですが。
「性」というのはりっしんべん(立心偏)に生くると書く。
つまりりっしんべんというのは「心」を意味する。つまり「心」を持って生きるというのが「性」なのに 英語で訳すと「SEX(セックス)」というような訳になったりですね。すると何かちょっとイメージが変わってくるところがある。
しかし、その性教育の基本というのは、合言葉なんだと。
つまり、いかに人、まあこの場合は相手をということになりますが、大切にできておるか、いかに自分を大切にできておるか、ということが「性」の基本ではないかと。
そういう心を持って生きるというのが性教育ではないかということを1時間、最後の授業で話しておるんです。そういう意味でまあ、どれが最優先ということは言えないと思いますけれども、そのようなことであります。
多くの卒業生の中で、在校時代はそのことはよく分からなかったと。しかし、何十年も経ってそのことがというので、会社経営をされとる方がですね、会社の理念にそのことを掲げられておられるところがたくさんあるというふうに聞いています。
私の場合にはよく卒業生の結婚式に出させていただくんですけれども、この言葉を常に申させていただきます。
「今日からはお互いを大切に、そして自分を大切に、そしてお互いの家族を大切に。また周りの人を大切にしていただくようにお願いをしたい」というようなことを申させてはいただくんですけれども。
(ナレ)いかがでしたか。
金光教の教祖は「人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人」と教えています。
「あなたは人のことが大事ですか。それとも自分のことが大事ですか」と、私たちに問いかけているのです。そして、「人もわが身もみな人」と続けています。
「みな人」というのは、人も自分も同じ「神様の愛し子」ということ。
神様からご覧になれば、どちらも大事なかわいい子ども。一人ひとりに幸せになってほしいと願っています。
会社や組織で、「自分さえ我慢すれば、みんなのためになるんだから」「本当はキツいけど、引き受けた」。いつもそんな行動をとっている人、いませんか?
人のために頑張ることのできる人は素晴らしいです。でもちょっと待って。自分のことは大切にできていますか?
自分の心や体の声にも耳を傾けてあげてください。心は悲鳴をあげてませんか? 体のほうはどうでしょう?
自分の心や体をないがしろにして人を助けても、反対に人をないがしろにして自分ばかり優先しても、神様からすれば悲しいことなんです。
そして、金光校長が、「自分を大切にできるからこそ、人が大切にできる」と言っていたように、自分の体や気持ちにもしっかりと向き合えば、心も体も元気に、豊かになれます。それは人の気持ちや、体も大切にできるような心の豊かさです。
お互いに助かっていけるように、神様は「あなた自身を大切に、そして人も大切に」と両腕で優しく包み込むようにして、守り労り、祈ってくださっているのです。
