三線(さんしん)の音を島風にのせて


●信者さんのおはなし
三線さんしんの音を島風にのせて」

金光教放送センター


 沖縄三味線・三線を奏で、名司会で盛り上げる、人を楽しくさせる名人。金光教那覇なは教会で信心を進める比嘉康之ひがやすゆきさんは、名護市でファミリーレストランを営む56歳。教会にはいつも奥さんと一緒に参拝しています。
 比嘉さんが金光教と出会ったのは、レストランのアルバイトをしながら、大学受験を目指して予備校に通っていた時のことでした。ある時、バイト先の店長さんと金光教の先生に会う機会がありました。それは那覇教会長の林雅信はやしまさのぶ先生でした。比嘉さんは、どういう宗教か分からぬままに、その後、那覇教会にも連れて行ってもらいました。
 店長さんは、すべてに厳しい人で、比嘉さんはミスをするとよく怒鳴られましたが、そんな店長さんが教会の先生の前では、まるで人が変わったように穏やかな顔で、仕事のことをあれこれとお話しています。
 金光教の教会では、人の願いを先生が聞いて神様に取次ぎ、神様の願いを人に伝える「お取次とりつぎ」という営みが、お結界という場でなされています。店長さんはそのお取次を受けつつ、仕事に取り組んでおられたのでした。
 ふだん従業員には見せない経営にかかわる葛藤かっとうも、先生には包み隠さずに聞いてもらっていたのでしょう。一日の出来事にお礼を申し上げ、仕事の立ち行きを願っている。話の内容は分からなかったけれども、その後ろ姿から、比嘉さんは何かしら尊いものを感じ取ったのです。そして金光教の教会に不思議さと興味を覚えました。「店とは打って変わった穏やかな顔で、店長は先生に何を聞いてもらい、何を教えてもらっているのだろうか」。
 比嘉さんは、それから通学前に教会に立ち寄ってみるようになりました。といっても、願い事があるとか、悩みを抱えているというわけではありません。相談するのでもなく、祈るのでもなく、毎朝8時頃から9時頃までジッと座っている比嘉さんに、林先生は、来る日も来る日もお話をしました。教えは、最初は難しく感じ、何を聞いたか覚えていないのですが、そうした日々が、大切な力として、比嘉さんの中に蓄えられていたことは、後になって分かってきます。
 比嘉さんは、店長さんに人間的な魅力を感じていました。教えをしたり、信心を強要したりせず、その姿から何か他の人と違うものを感じたのです。比嘉さん自身は、「何となく、教会に行ってみた」と言いますが、実は、店長さんの生き方の元にある金光教の信心を知りたいという「求める気持ち」があったからこそ、参拝が続いたのでしょう。
 次第に、比嘉さんに「店長のような調理師になりたい!」という気持ちがわき起こってきました。そして、受験勉強に見切りをつけ、店長さんが経営するグループのお店で修行することになったのです。林先生も、賛成してくれました。
 しかし、修業先は寒さが厳しい長野県でした。沖縄に生まれ育った比嘉さんにとっては初めての経験でした。林先生は、「3年間は辛抱せよ」と常に励まし続けました。知る人のない沖縄の地に教会を開いた林先生の計り知れない辛抱の経験は、そのまま比嘉さんの辛抱を支える力となりました。
 林先生の祈りを受けて、結局4年7カ月も修行を続けることができました。そして、昭和57年に名護市に念願のファミリーレストランを開店できたのです。地元の人に落ち着いてくつろいでもらえるように、そして、家族やグループでそれぞれが好きなものを選べるようにと、和食も中華も改めて修行しました。ここにも、人を楽しくさせる比嘉さんの姿勢が感じられます。
 さて、そんな比嘉さんが今取り組んでいるのは、お父さんの介護です。2年前、ふるさとの離島でお父さんが脳梗塞のうこうそくで倒れました。幸いにも発見が早く、障害は残りませんでした。高齢による認知症はありますが、ヘリコプターで本島の病院に運ばれたので、仕事をしながら介護ができます。仕事との両立は大変ですが、夫婦で役割分担を決めて、介護にあたっています。
 介護は、もり立てるように演出するのがコツだと比嘉さんは思っています。お父さんを呼ぶにも役者のように呼びかけると、お父さんも楽しく応答してくれる。まるで掛け合い漫才のようです。人を楽しませて、自分も楽しくなれるという比嘉さんの姿勢は一貫しています。その姿勢のおかげで普通は大変な介護もうまくいっています。子どもたちも、おじいちゃんを大切にしてくれるので、教会の参拝にも差し支えがありません。
 ある時、お世話になっている介護施設の施設長さんが、比嘉さん夫婦に尋ねました。「介護をしていると、家族間のトラブルが起こるものだが、あなたたちにはそれがない。何かが違う。何が違うのか?」と。知らず知らずのうちに、金光教の生き方が身に付いていたから、家庭に不和がないのだと認めてもらったのです。本当に教会のおかげだと改めて思いました。振り返れば、初めて教会に参拝するきっかけになった店長さんの姿に、何か尊さを感じたのと同じように、施設長さんも、比嘉さんに「何かが違う」と感じてくれたのです。
 生き方の中ににじみ出る尊いもの。これは、信心のおかげでしょう。神様の願い、先生の祈り、み教えによって、知らないうちに、信心による生き方が身に付いてくる。教会はそんな不思議な力があるところなのです。
 「金光教の信心をしてよかった」と比嘉さんは言います。そして、この信心をもっと多くの人に知ってもらいたい。教会に参拝してほしい、ということが、比嘉さんの今日の願いなのです。

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