●信者さんのおはなし
「親父の龍笛」

金光教放送センター
典楽の音
ピシッ。笏拍子と呼ばれる拍子木の音を合図に、横笛の一種である龍笛や、篳篥、笙、琴などの伝統楽器による演奏が始まります。金光教本部のお祭りは、この雅楽にも似た厳かな音楽とともに進められていくのです。金光教ではこれを、「祭典の音楽」という意味で「典楽」と呼んでいます。
今から10年前のことでした。兵庫県三田市に住む金岡孝雄さんは、金光教本部の祭典に参拝していました。典楽の演奏者席のすぐ近くに座って、金茶色の装束に身を包んだその人たち、とりわけ、笏拍子を持って始めと終わりの合図を出す指揮者の姿を見つめていました。
「ああ、親父が生きていたら、今、あそこに座っているんだろうな」
1カ月前に亡くなったお父さんは、長年にわたって典楽の演奏や指導に当たり、典楽会の会長も務めた人だったのです。
やがて指揮者はおもむろに笏拍子を手に取り、終わりの合図を打つ構えに入りました。その瞬間、どこからかピシッと鋭い音が響き、何事も無かったかのように、曲が静かに終わりました。一人指揮者だけが、戸惑って辺りを見回していました。指揮者はまだ、笏拍子を打っていなかったのです。
「親父、やったな」と、孝雄さんは思いました。お父さんのいたずらっぽい笑顔がまぶたに浮かびました。「この秋のお祭りには、典楽のご用をさせて頂くと言って、楽しみにしていたからなあ。親父、願いがかなって良かったな」
お父さんは、若い頃、九死に一生を得た経験がありました。戦争中、敵の弾が頭をかすめ、血を流して気を失っていたところ、戦死者として葬られる寸前に、助け出されたのです。
その時、神様に救って頂いた我が命を、生涯神様のご用に捧げようと決意したのでした。教会や本部で、お祭りの時に典楽を奉仕するようになったのも、その時の決意に基づくものでした。そして、龍笛を始め様々な楽器の技術を磨き、自ら演奏するだけでなく、多くの後輩たちを育てていきました。
もちろん、このことに対して、どこからも報酬が出るわけではありません。家業である染物店の仕事をやりくりし、交通費も食事も宿泊も、全て自己負担です。しかし、これも日々生かされていることに対する神様へのお礼だと考えていたお父さんに、迷いはありませんでした。その表情からは、典楽の奉仕を通して神様のお役に立ち、人にも喜んでもらえることが、何よりうれしくありがたいという気持ちがあふれ出ていました。
その様子を見ながら育ってきた孝雄さんは、お父さんを尊敬し、その生き方に憧れてもいました。時には、どうしてそこまでと思うこともありましたが、お父さんが重い病気を抱えながらも元気に過ごせているのを目の当たりにすると、神様にお礼を申さずにはいられないその気持ちが納得出来るのでした。
お父さんは何度かがんの手術を受けたことがありました。中でも特に大変だったのが、大腸がんの手術でした。8時間以上にも及ぶ手術は結局失敗に終わり、再手術を受けました。ところが、その後何日待っても腸が動く気配が見られません。孝雄さんは心配になって、医師の姿を探しました。しかし医師は、孝雄さんを見るなり、くるりと向きを変えて隠れようとするのです。孝雄さんは追いかけて言いました。
「先生、逃げないで下さい。どうなんですか、もう一度手術しなければいけないんですか」
医師は申し訳なさそうに、「そうなんですが、言い出せなくて」。
「大丈夫。うちの親父は、そんなことで怒ったり落ち込んだりはしません。先生、もう一度一緒に頑張りましょうよ」
孝雄さんは自信を持って、医師を励ましました。お父さんにも説明しました。
「先生が、もう1回手術させて欲しいって。先生は面と向かってよう言わんらしいから、僕から話すって言ったんだ」
するとお父さんはニコッと笑って、「そうかそうか、一緒におかげを受けないかんな。手術が成功しないことには、その先生も助からんのやから、何とかおかげを受けて欲しいなあ」。
病人が医師のことを思いやっているのがおかしくて、クスッと笑いながら、「親父らしいなあ」と誇らしく思ったのでした。
3回目の手術は成功しました。退院に当たって医師から言われたのは、「大腸のほとんどを切り取ったので、食べ物の水分を吸収しきれず、これからは下痢のような状態が続くだろう。また、脱水症状を起こしやすいので、週に何回か点滴をしなければならない。遠出をするのはもう無理だ」ということでした。
ところがそれからずっと便も普通に出て、不自由なく生活が出来たのです。何より楽しみにしていた典楽の奉仕に、泊まりがけで出掛けることも度々でした。そして命ある限り、いや、あの笏拍子の音がもしそうなら、生き死にを超えてと言うべきでしょうか、神様のご用に打ち込んだのでした。
お父さんが亡くなってから、遅まきながら、孝雄さんも龍笛の稽古を始めました。お父さんが愛用していた龍笛です。いつも「親父、僕の体に入って、上手に吹いてくれよ」とお願いしながら、演奏を奉仕しています。
霊前に掲げたお父さんの写真は、優しいまなざしで、孝雄さんに語りかけます。「神様を使うより、神様に使って頂けよ。そうすれば、何も心配は要らんからなあ」