●先生のおはなし
「ままごと遊び」
福岡県
金光教漆生教会
鳥越正克 先生
(ナレ)おはようございます。案内役の岩﨑弥生です。
今日は、福岡県漆生教会、鳥越正克さんのお話で、「ままごと遊び」です。「ままごと遊び」。大変懐かしく、大好きな遊びでした。一体どんなお話なのでしょう。
戦後間もない私の幼い頃は、農家の庭先で、女の子が楽しそうに「ままごと遊び」をしていました。「ああ忙しい、今夜は何を作ろうかしら」と、母親の言葉をまねながら、タンポポの花で料理を作っていました。「ままごと」は、家庭の様子をまねする、ごっこ遊びです。「まねる」は元々「まねぶ」という言い方で使われ、「まねぶ」と「まなぶ」は同じ語源であるとも言われています。子どもたちは「ままごと遊び」の中で、炊事の大変さを学んでいたのでしょう。
私は幼い頃、学校から帰るとカバンを放り投げて、体の弱い母の手伝いをしました。七輪に火を起こし、買い物にも行きました。学校では褒められることのない私でしたが、近所のおばさんたちからは、「今日もお手伝いなの、偉いわね」と声を掛けてもらい、たまにはあめ玉ももらいました。あめ玉をもらうコツは、「こんにちは」と笑顔で、大きな声を掛けることだと学びました。家路に着くと母が、「ご苦労だったね」と頭をなでてくれました。人が喜ぶ事をすると、私もうれしくなる事が分かりました。母に頭をなでられた数は、男3人兄弟の中で、私が飛び抜けて1番だと思います。
私が小学3年の時に、父と遊園地に出掛けました。池には貸しボートが浮かび、丘にはチンチン電車や、くるくる回りながら上に昇る、飛行機がありました。遊園地に着くと父が、「これは電車と飛行機の料金だよ」と、20円をくれました。ウキウキして歩いていると、白い服に、赤十字のマークを胸に付けた、手足の無い人の姿が目に映りました。父に尋ねると、「戦争でケガをしてしまった人たちだよ。今は、国からお金をもらって生活しているから、心配しなくてもいいよ」と聞かされました。でも私はとても可哀想に思えて、10円を箱の中に入れました。でもすぐに10円入れたことを後悔しました。だって、乗り物が1つしか乗れなくなったからです。すると父が、にこにこしながら私に20円を握らせ、「この20円は神様からのご褒美だよ」と言いました。父が信じる神様が、お金を2倍にしてくれることが分かっていたら、20円を入れて、40円にしてもらえたのに、残念でした。
私が成人のお祝いにと、父に誘われ食事に出掛けた時のことです。食事が済み、席を立つ時に父が、不思議なことを言いました。「出会いは、神様から頂いたご縁だから、大切にしなさい」。そう言って席を立ちました。
父を送るためにバスに乗り、しばらく走ると、お寺の前のバス停でバスが動かなくなりました。運転士と女性がもめている様子です。やがて、「どなたか1万円札を両替出来ませんか」と、アナウンスが流れました。すると乗客から「小銭を持たないでバスに乗るとは非常識だな」と、女性を責める声が聞こえます。すると父が、「料金は私が払います」と申し出ました。恐縮した女性は、父に頭を下げながら、「お礼をしたいので連絡先を教えてください」と幾度も尋ねます。すると父が「あなたはお寺参りの途中だと聞いたが、若いのに感心ですね。今日のことも何かのご縁だと思う。私は、この料金はあなたではなく、お寺への、お布施として入れることにしたから、あなたは心配しなくてもいいよ」と、返しました。バスが動き出して後ろを振り返ると、女性が手を合わせて拝んでいる姿が、小さくなるまで見えました。今に思い返すと、戦争で傷ついた人を見た私が、可哀想にと思う、心の芽生えを、摘むことなく、優しく見守ってくれた父のまなざし。その親子の姿をご覧になった神様が大変喜ばれ、「心の優しい子じゃ、20円あげよう」と父に託して、私に20円を下さったと思えるのです。バスの出来事も、人を思う父の行いが、神様や仏様の喜びとなり、女性も助かることにつながり、父はさぞかしうれしかったでしょう。今は亡き父の、素敵な生き方を思い出しては、「まねごと」ながら、優しい地域作りを、目指している私です。
(ナレ)いかがでしたか。優しさと子どもながらの抜け目なさが、かわいらしく思える正克少年でしたね。いつも、お父さんとお母さんの信心に基づいた優しいまなざしの中で、伸び伸び育てられた感じがします。そのご両親へも、更に神様の優しいまなざしが注がれていたのでしょう。バスの料金を払えず困っている女性に思わず手を差し伸べた、お父さんの優しさあふれる行動には、利他の心、神心を感じます。お父さんの生き方がお手本となり、まねるが学びになって、その中で身についた優しさが、周りに広がっていく。いいですね。
まずは、私にも注がれている神様の優しさを感じていきたいと思います。