かんべむさしの金光教案内5 第4回


●第4回
「かんべむさしの金光教案内5」

金光教放送センター


 おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」、4回目の今朝は、松井まついツル先生という、女性の先生を紹介させていただきます。幕末生まれの京都の方ですが、今でも似た話がありそうな体験から、信心の道へと進まれた先生です。
 というのは、この松井先生、若い時代には祇園ぎおんで客商売をしておられて、その付き合いで、毎日のように酒を飲んでらしたんですけど、それが進んで、ついには、今の言葉でいえば「依存症」になりはったんですね。
 それで胃をやられ腸をやられ、おまけに肺の具合も悪くなって、さらには神経痛からリウマチまで出るという、病気の巣みたいな体になられたんです。もちろん医者にはかかってましたけど、全然良くならない。
 そしたらある時、知り合いの芸者さんが、「私はありがたい神様を信心しています」と言って、そのお下げいただいた御神酒おみきを持ってきてくれました。そしてそれを体の痛む部分に塗ってくれたら、すっと楽になったんです。
 それで驚いた松井ツル先生、「信心しておられるのはどんな神様ですか」と聞きましたら、芸者さんは威儀を正して、「我々の親である神様、天地てんち金乃神かねのかみ様と申します」と言って、その教えを聞かせてくれました。
 たとえば、人間の肉体の親は両親だけど、本体、つまりタマシイ、みたまの親は神様なのだとか、願い事や困り事があったら、子どもが親に頼むように、遠慮なくお願いすれば聞いてくださるのだとか、神様に喜んでいただく生き方をしていくのが根本なのだとか、そんなことを教えてくれたのかもしれませんね。
 そして後日、京都の島原しまばらに出来てた教会にも一緒に参拝させてもらい、それをきっかけに病も快方に向かい出しましたので、松井先生、本当にうれしくてありがたくて、自分も島原教会に、毎日通うようになられたんです。
 また皆で、今の岡山県浅口あさくち金光町こんこうちょうにある御本部に参らせてもらった時、当時のことですから船で行ったその途中、突然胸が激しく痛み出して、治まらなかったことがありました。それで神様に必死に祈ってましたら、大きな血の塊を吐いて、その結果、長年の肺の病気も治ることになったんだそうです。
 金光教では、願いをかなえてもらったとか、難儀を解決してもらえたとか、神様の力の現れを「おかげ」と呼んでるんですけど、この松井ツル先生、いわゆる奇跡的なおかげを、他にもいろいろ受けられた方です。そしてのちには、教祖さんはすでに亡くなられてましたので、その跡を継がれただい金光様こんこうさまから直々に、「松井は東京で道を広めるように」と言われました。
 「私のような何も知らない、字も書けない者に、そのようなことは」と辞退したんですけど、二代様は、「それでよろしい。実地に当たってやれば大丈夫です」とおっしゃいました。そこで松井先生、東京のしばにある教会で一年間修行をした後、明治24年、当時としてはもう高齢の59歳で、日本橋にほんばしに新たな教会を開かれたんですね。
 で、私がこの松井ツル先生のお話を読んで、まず思ったのは、「昔の京都の雰囲気がよく出てるなあ」ということでした。芸者さん、京都では芸妓げいこさんでしょうけど、その人が神信心をしてて、それを教えてくれた。そして連れて行ってくれた教会は島原にある。
 島原は江戸時代から栄えた花街(かがい・はなまち)ですけど、その一方では、そこで働く女性たちは、つらい思い、かなしい思いもしてたそうですね。そこを考えると、当時から金光教の人助けは、そのあたりもちゃんと視野に入れてたことが分かります。他にも似た教会があちこちにありますので、京都大学人文科学研究所の先生が、それを調べて研究されて、「金光教と遊郭ゆうかく花街かがい」という、論文を書いておられるほどですからね。
 ただしもちろん、金光教の教会は全国の都市や地方にあります。繁華街にもありますし、下町の商店街にもありますし、高級住宅地とされる町にもあります。どこに住むどんな人だろうと、願い事や悩み事のあるのが人間ですから、いつでも誰でも神様に頼ってこれるように、広くカバーしてるわけです。
 それから、松井ツル先生は、明治時代に日本橋教会の教会長になられたんですが、教会長は女性ですという教会は、今も各地にありますし、金光教の先生の半分は女性なんだそうです。教祖さんが、「女は神に近い」と言っておられたくらいですから、その伝統は現在も生きてるわけですね。
 またこの松井ツル先生は、東京でもずっと、やわらかい京都弁で通されて、「私は何んにも知りませんけどなあ、神様は何もかもよう御承知でありますからなあ」と、常に言っておられたそうです。そして日本橋にも花柳界かりゅうかいがありましたから、芸者さんの信者さんも多くて、大変慕われたそうです。見かけは華やかでも弱い立場にいる人たちを、包み込む優しさがあったんでしょうね。このあたりも、私の好きな雰囲気です。
 はい。それでは最終回の来週は、今度は大工さん出身で、教育にも力を尽くされた、佐藤さとう範雄のりおという先生のお話をさせていただきます。ありがとうございました。

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