かんべむさしの金光教案内Ⅳ 第5回


●第5回
「かんべむさしの金光教案内Ⅳ」

金光教放送センター


 おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」。先週までの4回は、教祖さんの紹介と、その教えを受けて、のちには自分も人助けに励まれたという、当時の信者さんたちのお話をさせていただきました。そこで最終回の今朝は、教祖さんの跡を継がれた方のお話をさせていただきます。
 教祖さんは、幕末から明治にかけてという時代、当時の備中びっちゅう大谷おおたに、いまの岡山県浅口あさくち金光こんこう町で、農家のひと部屋に座り続けて、人助けに励まれました。参ってきた人の悩みや願いを神様に取り次ぎ、その解決や成就を祈ってあげる。そして神様の思いをその人に伝えて、より良い生き方を教えていく。
 ですからその伝統を守って、金光教は現在も、全国各地にあるどこの教会でも、全く同じ姿勢で、取次が続けられております。
 しかし、その教祖さんは明治16年に亡くなられ、その息子さんが二代目として、跡を継がれることになりました。大変真面目で、朴訥ぼくとつな方だったそうで、若い時代、毎年酒の仕込みの時期には、村の若者たちと一緒に造り酒屋へ出稼ぎに行ってたんですけど、休み時間にも用事を探して片付けてたので、雇い主から、「来年も来てください」と頼まれたという話が残っております。昔の農村地帯の暮らしぶりがよく分かる、私の好きなエピソードの1つです。
 そして、二代金光様は教祖さんと同じく、人々の悩みや願いを、毎日神様に祈ってあげておられたんですが、夜中にも神前で祈念しておられるようなので、ある信者さんが、「どうぞ御無理をなさいませんように」と申し上げたら、意外な答えが返ってきました。
「あれは私ではありません。亡くなられてから3年間、毎晩12時を過ぎると、親様がお出ましになって、御神前で信者さん方のお届けを祈念してくださいました。それで不徳な私にも、御用が勤まってきたのです」
 みたまになった教祖さんが、助けてくださってたということですが、私は初めてこのお話に接した時、「やっぱり、こういうことがあるんやなあ」と思いました。「うそやろ」とは思わなかったわけで、つまりまあ、金光教という宗教を、信じ始めてたんでしょうね。
 で、二代金光様は毎日毎晩、「参ってくる人の足音が、途絶えたら寝かせてもらい、聞こえたら起きます」という、早朝から深夜に至るまでの取次を続けられましたが、10年後の明治26年に亡くなられました。
 そこで、そのまた息子さんが三代金光様になられたんですが、その時はまだ満13歳で、高等小学校を中退して、跡を継がれたんだそうです。ですから三代金光様はのちに、こんなことを言っておられます。
 「初めのうちはつろうてつろうてよう泣きましたがなあ。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも、考えることも、いつの間にかなくなりましてなあ。ありがとうてありがとうてならぬようになり、なんぼうお礼を申しても、足りませんのじゃ。お礼の足りませぬお詫びばかりしておりますが、もったいないことであります」
 13歳の子どもですから、「つらくてつらくて、よく泣いた」という部分が実にリアルで正直で、そこが信用できる。もし第三者が、「最初から、ずば抜けた力を示された」なんて伝えてたら、私は眉につばを付けただろうと思いますね。
 そして三代金光様は、明治大正から太平洋戦争を挟んで、昭和38年に亡くなられるまで、文字通り「十年一日」の毎日を繰り返されました。午前2時から2時半に起きて、4時には金光教本部の御神前で祈念を始められる。
 そのあと昼食抜きで夕方まで、参ってくる信者たちの悩みや願いを聞き取られる。夜は夜で、毎晩11時頃まで、いろいろの御用をされる。それを足かけ70年間続けられたんですから、これはやっぱり、「人間わざではない」という言葉が浮かんできますね。
 教祖さん以来の伝統で、金光教は現在も、誰でも、信者でなくても、本部に参りさえすれば、金光様に直接お願いをさせていただけます。ある時、アメリカの宗教学者が本部に来たんですが、信者さんらしい女性が金光様にお願いを申し上げてたので、それが終わるまで面談の順番待ちをしたそうで、宗教学者は、逆にそのことに感動したという話も残っております。
 そして歳月が過ぎた現在、金光教は六代金光様の時代になっておりますが、教祖さん以来の基本姿勢や、日々の取次ぶり、温和で親切な雰囲気などは、全国各地、どこの教会でも、全く変わっておりません。
 私は御縁ごえんを頂いた当初、自分が二十何年間も教会に通うとは、思ってもいませんでしたが、いつしか、「よくぞこの宗教に引っ張ってもらえたものだ」と感じるようになりました。それは素直に、ありがたいことだと思います。
 はい。というところで、時間が来ました。「かんべむさしの金光教案内」、機会がございましたら、またいつかお話を。
 ありがとうございました。

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