●もう一度聞きたいあの話
「『ありがとう』っていいね」

金光教直方教会
藤本有輝 先生
「お父さん、ありがとう」。ある日小学校3年になる息子と一緒にお風呂に入っていると、突然言ってきた。「えーっ、どうしたの?」と聞くと、「えへへ、ちょっと言ってみただけ」と言う。そこで、「お父さんのほうこそ、ありがとう」と言い返す。すると息子が、「やっぱり、ありがとうっていいね」と言う。何のことかさっぱり分からないので、詳しく事情を聞いてみた。すると、次のように話してくれた。
学校にいくつかの標語が掲げてあり、その中に「ありがとう 言って言われて 心が通う」というのがあること。息子はその標語が一番好きだということ。さらに、今お風呂で言ってみたらお父さんも言い返してくれて気持ち良くなったこと。私は息子の話を聞いて驚いた。というのも私がいた頃にも同じ標語が掲げてあった。子どもたちは私が卒業した同じ学校に通っている。とはいえ、30年近くもよく残っていたなあと感心した。
そして、実は「ありがとう 言って言われて 心が通う」という標語は、私も好きな言葉だったのだ。
数年前、妻に頼まれて野菜を買いに出掛けた。普段は妻に任せっきりなので久しぶりの買い物だ。近所の八百屋さんで、「おばちゃん、大根1本となすびとピーマン」とお願いした。「はーい、毎度あり。ありがとさん」。私は「ありがとう」と言って野菜を受け取ろうとすると、おばちゃんが不思議そうな顔で、「あんた、気持ちいい人やねー」と言う。「今どきの若い人はありがとうなんてめったに言わないよ」。「そうかな。だって売ってもらってありがとうでしょう」。「うちも買ってもらってありがとうやね、あはは」とお互いに心が通じたような気持ちになり、買い物を終えて帰った。その時、私の心に小学校の時によく目にしていた標語、「ありがとう 言って言われて 心が通う」が浮かんできた。それからは「ありがとう」という言葉を大切にしていこうと強く思ったのだ。
妻は、参拝している教会で先生から、「一日にありがとうをせめて100回は言えるようになりましょうね」と言われたそうだ。お世話になっているもの一つひとつ丁寧にお礼が言えればすぐに100回になるのだろうが、なかなかそうもできないのが現実。そこで妻は親子で取り組むいいチャンスだと思い、色紙とペン、はさみを用意し子どもたちに手渡した。子どもたちは何をするのかと、ちょっとワクワクしている。一日に100回、家の中でお世話になっているものにお礼を言うことを子どもたちに話し、色紙を短冊状に切り、そこにペンで「ありがとう」と書いてセロテープで貼っていくことを伝えた。「分かった!」と、子どもたちはやる気満々。長男は小学生なので字をいくらか速く書けるが、年長組の長女は慣れない手つきで一生懸命書いていた。
妻は二人に、「急いで書かなくてもいいよ。心を込めて書こうね」と言葉を掛け、二人はひたすら「ありがとう」と100枚書き続けた。出来上がると次は、ありがとう探し。日頃お世話になっているものを皆で探す。自分たちなりに次々と見付けていくが、見付けにくくなった時には、妻がちょっとヒントを与えて…100カ所、家の中のあらゆる所、いろいろな物に「ありがとう」の色紙を貼った。
仕事から帰ってきた私は、家の中の様子にしばしあ然とした。しかし、妻から理由を聞き、とてもうれしくなった。長男は、「お父さん、水や空気にも『ありがとう』を貼りたいけど貼れないんだ」と少し残念そうに言う。「そうか、でも貼れなかったものにも『ありがとう』を忘れないようにしようね」と話した。
それからの数週間はものを使うたびに「ありがとう」と言う声が、家のあちこちからよく聞こえていたが、続けるということは大人も子どももなかなか難しい。けれども、「ありがとう」の言葉が出るようになって、家庭の雰囲気がとても良くなった。
夜遅く仕事から帰ってきた。子どもたちもすでに寝ている時間だ。音をなるべく立てないように部屋に入ると、隣の部屋から子どもの寝息が聞こえる。明かりのスイッチを押すと、そこには「ありがとう」の色紙が。「ありがとう」と小さな声でささやいてみる。ちょっと疲れが吹き飛ぶようだ。お風呂に入り、湯船につかっていると湿気でふやけた色紙がシャワーや石けん台、シャンプーや蛇口に辛うじてついている。「ありがとう」と言ってみる。さらに疲れが吹き飛んでいく気がする。「ありがとう」の返事はなく一方通行のようだけど、『ありがとう 言って言われて 心が通う』のようにお世話になっているものとも心が通い合う気がしてくるから不思議だ。
「今日も一日ありがとう、おやすみなさい」