●先生のおはなし
「ぼくのいのち」
金光教今治教会
塚本一眞先生
皆さん、おはようございます。
今から朗読する作文は、息子が夏休みの宿題で交通安全について書いたものです。
「ぼくのいのち」 小学4年 塚本治夫
ぼくのお父さんは、2歳のころ交通事故にあいました。道路の反対側にいたおばあちゃんに呼ばれて、横断歩道を渡らずに、道路を走って横断しました。すると左折してきた車にはねられたそうです。その時、足を骨折して、しばらくギプスの生活をしたと言っていました。
もし打ちどころが悪かったら、死んでいたかもしれません。そのままお父さんが死んでいたら、ぼくはこの世に生まれていません。無事でいてくれたから、ぼくのいのちが今ここにあります。
この話は、今回、交通安全の作文を書くことが決まって、初めて聞いた話だったので、とてもびっくりしました。
ぼくは今まで一度も交通事故にあったことはありません。でも、今年の夏休みに、小学校から帰る途中、よそ見をしながら自転車を運転していたおじさんにぶつかりそうになって、こわい思いをしました。
みんなが交通ルールをきちんと守ったら、事故がなくなります。相手を思いやるやさしい気持ちを持って、交通事故のない平和な世界を作っていきたいです。
みなさんも「いのち」を大切にしていきましょう。
この内容は、なかなかやる気のスイッチが入らない息子の機嫌を取りながら、親子で一緒に考えたものです。交通安全がテーマだったこともあり、私が交通事故に遭った時のことを親子で話し合うことができました。
日常生活を送る中で、勉強や部活、友達のことなど、学校生活について話すことはあっても、事故のことや命について子どもとゆっくり話し合うことが少なかったと気付かされました。また、私自身、足にギプスをしている思い出があるくらいで、実際のところ、事故当時の記憶はほとんどありません。
今回、作文を書くに当たり、改めて両親から事故当時の様子を聞かせてもらいました。相手の車がゆっくり左折してきたのでスピードがそれほど出ていなかったこと、ギプスをはめた後、外出する際にはしばらく車を怖がっていたこと、親としての不注意を反省し、神様におわびしながら、毎日快復を祈っていたことなど、昨日のことのように話してくれました。親の祈りを感じると共に、両親から私へ、また私から息子へ命の流れを再確認することができました。
おかげさまで、事故の後、後遺症もなく、現在まで元気に過ごさせてもらっています。
もし、あの時、交通事故で死んでいたら、妻とも結婚していなかったでしょうし、2人の子どもたちにも巡り合えていなかったと思います。その後も命に関わる危ないことも度々ありましたが、神様から大難を小難に、また小難を無難にしていただいて、今日まで生かされて生きています。
昨今、車に関する事故や事件の報道を見聞きする度に、当時は幼く何も分からなかったとはいえ、あの事故で誰かを加害者にしていたかもしれないと思うことがあります。
私も運転免許証を取得して20数年になります。若い頃は無茶な運転をしていたこともあり、今、思い出しても冷や汗が出ます。ある時、信心の先輩から、「車を運転する前には『心穏やかに安全運転をさせてください』と手を合わせ、運転後には『無事に目的地へ到着でき、ありがとうございます』と感謝の祈りを捧げていると聞き、目から鱗が落ちました。それからは、私もささやかですが運転する前と後には手を合わせ、心を整えるようにしています。両親の話でしか分からない事実ですが、今こうして命を頂き、心身健康で日々の生活をさせていただけることが、当たり前のようで当たり前でないことを強く実感しています。
ここまで事故を通して気付かされたことについてお話しましたが、ラジオをお聞きの皆さん、お一人おひとりが容易ならないところを通らせてもらって、今日この命があると言っても過言ではありません。親先祖から続く命の道のりは、まさに奇跡の連続だと思います。
深呼吸して心臓を触ってみてください。ドクドクドクと鼓動を感じますか? お母さんのおなかの中から今までずっと止まることなく動き続けて、血液を体中に運んでくれています。心臓が、「ちょっと疲れたから休憩させて」と言われると、たちまち死んでしまいます。同じように、五臓六腑を始め、体の隅々に至るまで、一日も休まず動き続けてくれる命と体の働きに、「ありがとうございます」とお礼を言いたいと思います。
親先祖から続く命の流れの中で、お互い今日を迎えさせていただきました。生きていると酸いも甘いも、良いも悪いもいろんなことが起こってきます。一度しかない人生。これからも賜った命を大切に生きたいと願っています。
では、皆さん、今日も一日、素敵な時間をお過ごしください。