おにぎりの味

●信心ライブ
「おにぎりの味」

金光教放送センター


(ナレ)おはようございます。  
 今日は、山口県の金光教鹿野上かのかみ教会、岡成敏正おかなりとしまささんが、平成28年3月、金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
 お話に登場するAさんは、幼い頃にお父さんを戦争で亡くされました。後に残されたAさんと、そのお母さんとのお話です。  

(音源)このAさんという方は数年前にお隠れになったのですけれども、私が出会わせていただいた時は50代半ばでございました。このAさんは、「親がいないということは、例えて言えば、胸の中に氷が張り付いて、それがどんどん大きくなっていく。冷たくて冷たくて仕方がない。そういう感じでした」と仰っておられました。
 お母さんは乳飲み子を抱えて戦後の食糧難、厳しい生活の中、一人で子どもを育てようと思われたそうですけれども、大変なことで、後に子どものために商家、お商売をされている家にお嫁入りをなさった。その商売の手伝いを一生懸命なさるわけでして、なかなかわが子のことに思いを寄せてやれなかったそうです。
 一方、Aさんからすれば、「今まで自分一人のお母さんだった。そのお母さんが、その家に取られたような気になって、義理のお父さんが心の中で憎くてならなかった」というようなこともお話しくださったわけです。
 そういう中で、心が荒んで、非行にも走り、大人になった時には大変な人間になっていた。そのAさんが、お道の信心に出合われ、教会に参拝されるようになり、お取次ぎを頂かれ、神様のお話、信心の話を聞かれる中に、改めてご自身のそこまでの歩みを振り返って、一文を書いたということを仰いました。それを「おにぎりの味」という一文なんですけれど、実はここにございますので、ちょっと読ませていただきたいと思います。
 「おにぎりの味」  小学校5年生の運動会の時のことです。その頃の運動会は町内のお祭りのようなもので大変な騒ぎでした。でも、僕の家は商売をしていたので家族が見にくることもなく、昼休みはいつも同じように家に帰っておりました。
 ところが5年生の時の朝、母が、「今日は弁当を持っていくからね」と言ってくれました。とても楽しい一日の始まりです。  そして昼になり、校内のところでワクワクしながら待ちました。しかし、待てども待てども母の姿は見えません。いよいよ昼休みが終わりに近付いた頃、親友が、「自分の家族のところで一緒に食べよう」と話してくれました。その時僕はとっさに、「もう食べたよ」とうそをつきました。とてもつらい、悲しいうそだったのを今でもはっきり覚えております。
 しょんぼりしていたら、遠くから手を振りながら走ってくる母の姿が目に入りました。飛び上がるほどにうれしかった。と同時に、ホッとしました。「ごめん、ごめん」と謝る母の手を引いて、急いで校庭の隅に行き、弁当を広げました。おにぎりを2つほど食べ、卵焼きを食べ始めたら午後の始まりのベルが鳴りました。でも、僕は時間ギリギリまで母と一緒にいました。この時のにぎりめしの味はおいしかった。
 子どもなら遅くなった母を責めるのが当然でしょうが、僕はとてもうれしかった。生まれた時、父は既になく、僕が5歳の頃、母は再婚しました。幼い心にも、今まで自分だけの母を人に取られたとの思いが強烈にあり、とても寂しい気持ちでした。そして、初めて母と二人きりになったのが、その時です。校庭の隅で向き合って座った時のおにぎりの味。母の味、二人だけの世界、夢のような時間です。思い出す度に何とも言いようのない、懐かしい心の古里です。
 これからも自分のことだけではなく、家族や周りの人々にもいろいろなことが起きてくるでしょうが、自分の心の中におにぎりの味と母の匂いのするあの時間を忘れない限り大丈夫と思っております。

 
(ナレ)いかがでしたか。
 当時の日本は大家族が多く、そんな中で、Aさんはお母さんと二人暮らし。お母さんはたった一人の家族でした。そのお母さんが再婚したのは、Aさんがまだ5歳の時というのですから、お母さんを取られたような気持ちになっても無理はありません。だんだんと心が荒んで非行に走るようになったそうですが、それでも本当に道を誤らずに済んだのは、心の支えになるものがあったから。それが何なのか、そのことに気付いたのはAさんが大人になって金光教に出合ってからでした。
 信心をするようになって、「神様はわれわれ人間を『可愛い子ども』として、いつも慈しみを掛けてくださっている」。こういう教えを実感したのでしょうか。改めてお母さんとご自身の関わりを考えるようになりました。すると、思い出されるのはいつもあの味でした。大好きなお母さんが作ってくれた、大好きなお母さんと二人っきりで食べた、その時のおにぎりの味。それはすなわち、お母さんそのものなのですが、実はそれがずっと、心の支えになっていたことに気付いたのです。
 皆さんにも心の糧になるような思い出の味、ありますか?

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