お喜久と市助


●昔むかし
「お喜久きく市助いちすけ

金光教放送センター

朗読:杉山佳寿子さん

 昔むかし、ある海沿いの村に大きな屋敷を構えるお大尽がおりました。お大尽とはお金持ちのことです。そこにお喜久という年頃の一人娘がおりました。美しいという評判でしたが、しかし。
 「お喜久、またご飯を残すのかい、もったいないことじゃ。お天道様に申し訳が立たん。だからいつまで経っても痩せておるのじゃ」とおばあさんが言いますと、
 「おばあ様、このおかず嫌いなんです」と答える始末です。
 そうです。お喜久は好き嫌いがとても激しく、一人娘を甘やかせて育ててしまったと、親たちはもう諦めて、おばあさんばかりが小言を言っておりました。
 さて、ある時お喜久は海辺を歩いておりました。とても気持ちの良い晴れた夕暮れ時で、今まで行ったことのない岩場の方に行きました。岩場は足元がつるつるしておりましたし、そこへいきなり大きな波が来て、お喜久は波にさらわれ海に落ちてしまいました。
 泳ぎが出来ない上に着物を着ておりますから、溺れそうで息が苦しくばたばたもがくばかり。お喜久はもう死んでしまうかと思いました。
 それを畑仕事帰りの市助が目ざとく見つけました。市助は上着とわらじを脱ぐやいなや海に飛び込み、ばたばたしているお喜久をやっとのことで助け、浜辺まで連れて行きました。
 お喜久は市助にお礼を言おうと、市助を改めて見直しますと、たくましい体付きと、りりしい顔立ちの若者です。市助はもう上着を着て、わらじを丁寧に海の水で洗い、腰に挟んでおります。その様子をお喜久がボーッと見ておりますと市助が、
 「さあ」と言って背中を向けました。
 「え?」
 「お大尽の所の娘さんだろう? 履物が無くては歩けんだろう、俺が負ぶってやる」と言ってもう一度背中を向けました。
 お喜久は恥ずかしさに戸惑いながらも、
 「あなた様のお名前は…?」と聞きますと、
 「おれは市助と言う名だ」
 「私は喜久と申します」
 市助は道を歩きながら、
 「お喜久さんは着物がぐっしょりぬれているので、重いかと思ったが、軽いなあ」と言いました。
 背中でお喜久は真っ赤になりましたが、それをごまかすように、
 「市助さんは、わらじを履かれないのですか?」と聞きますと、
 「ああ、一日わらじに働いてもらったから、お礼を言ってさっき海で奇麗にしたからな」と言いました。
 「お礼?」
 「そうだよ。俺の家は貧しくて、冬におっ母さんがわらじを編んでくれる。俺はそのわらじのおかげで畑仕事が出来る。だから毎日わらじを奇麗にしてお礼を言ってるんだ。わらじだって天地の恵みのおかげで出来る物だからな。大切にしないと」

 お喜久の家は大騒ぎでした。が、市助はお喜久を送り届けるとさっさと帰ってしまいました。
 その日の晩ご飯時に、お喜久が市助のわらじの話をしますと、おばあさんがポンとひざを打って言いました。
 「全くもってその通りじゃ。お喜久は海で命を助けてもろうて市助さんにお礼を言うたが、お喜久が毎日食べている物に、お礼を言うたことがあるのかい? 毎日頂いている天地の恵みの食べ物がお前を生かして下さっているのじゃ。これからは食べ物にお礼を言わねばな」
 お喜久はなるほどと、その言葉が素直に心に残りました。それに市助におぶられた時に、「軽いなあ」と言われたことも恥ずかしく思っていたのです。
 それからのお喜久は、三度三度のご飯を、お礼を言って頂くようになりました。すると、ふっくらとしたなおも美しい娘になっていきました。
 村の人たちは、海辺でお喜久と市助が楽しそうに話し合っている姿を時々見掛けるようになりました。
 そして、お喜久はおばあさんに教えてもらって、わらじ作りを始めました。作っている時のお喜久の頬は、ほのかに赤くなっておりましたと。

 おしまい。

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