●先生のおはなし
「太るのは、カロリーのせい?」

金光教西宮教会
西村明正先生
ある日、テレビのバラエティー番組を観ていました。
いわゆるトーク番組と呼ばれるもので、番組の司会者が、数名いる出演者たちに向かって質問をしたり、互いに冗談を交わしたり、失敗談を語り合ったりと、面白おかしくトークをすることで番組が進行していきます。
出演者の中には、一人の若いお坊さんが混じっていました。ぽっちゃりとしたふくよかな体形の、ユーモア精神にあふれたお坊さんでした。
番組が始まってしばらくして、司会者が、このお坊さんに向かって、「最近、何か悩み事はありますか?」と質問をしました。すると、お坊さんはちゃめっ気たっぷりに、こう答えたのです。
「仕事柄、お菓子などの頂き物が多いでしょう。仏様のご利益で太っちゃって、太っちゃって、困るんです」
すかさず隣に座っていた別の出演者が、「いやいや、太ったのは仏様のご利益じゃなくて、カロリーのせいでしょう!」と茶々を入れて、会場は大爆笑となりました。私もテレビの前で笑いながら、しかし同時に、「ああ、このお坊さん、いいことを言うなぁ」と感心したのでした。
私たちは普通、この茶々を入れた出演者のように、「太る原因はカロリーだ」というような考え方をしています。つまり、食べ物を食べると、その中に含まれている様々な栄養素のおかげで、私たちは太ったり、健康を維持したりすることが出来る。ビタミン、ミネラル、脂肪、タンパク質、炭水化物…。多種多様な物質の働きによって、私たちの毎日の体は作られている。そのように考えます。
もちろんそれはその通りなのですが、しかし、こういうこともあると思うのです。たとえば、同じ食べ物を食べていたとしても、みんながみんな、毎回、同じだけの栄養を取り入れることが出来るとは限りません。同じ条件の元にあったとしても、ある人は栄養をたっぷり吸収出来るけれども、また別のある人は残念ながらそうはならないということもあります。同じ一人の人間の中であっても、昨日は良かったけれど今日は駄目だというようなこともある。年齢や性別などの個人差にもよるでしょうし、また、その時々の体調によっても変わってくることでしょう。
私は数年前から、サボテンを育てています。小さな鉢植えのミニサボテンを、5つ、6つ、部屋の窓辺に並べていて、毎日楽しく鑑賞しています。
私は、どのサボテンに対しても等しく愛情をかけて、水やりをしているつもりなのですが、ところが、どうしても育つサボテンと、そうではないサボテンとがでてきてしまいます。隣り合わせで並んでいる同じ品種のサボテンであってもそうなのです。土も水も太陽の光も、条件はみな同じはずなのに、一方は育つけれどもう一方はそうならない。そういうことがしばしば起こってくるのです。
おそらくは、ほんのちょっとした日当たりの違いだとか、水の量のわずかな差、土に含まれている養分のばらつき、気温、湿度…。こういった様々な要素が複雑に絡み合い、わずかな違いが重なっていくことで、最終的に大きな違いとなって現れてくるのだと思います。
私たちの体を形作っているものは、物質によるものかも知れませんが、その物質の組合せや働き合い、そういったミクロの世界にまで考えを及ばせていくと、これはもうほとんど人知を超えた世界です。今、こうして生きている私たちは、人知をはるかに超えた不思議な働きによって、生かされて生きていると言えるのではないでしょうか?
そう考えていくと、お坊さんの言った、「仏様のご利益で太る」という言葉も、単なる冗談などでは決してなくて、「まさにその言葉通りであるなぁ」と私には思えたのです。
金光教では、私たち人間を始め、あらゆるものにいのちを与え、育むこの天地自然の働きを、天地金乃神様と仰いでいます。
金光教の教祖、金光大神様は、「天地金乃神のおかげは世界にいっぱい満ちている。そのおかげがなければ空気がないのと同じで、人間は一時も生きてはいられない」と教えて下さっています。
私たちが生きていく上では、バランスの良い食事を心掛け、様々な栄養素の恩恵を受けていくことは、必要不可欠なことです。しかし、食べ物はただ口に放り込んだだけでは、私たちの血肉とはなりません。仮に、たくさんお金を積んで、栄養価の高い食べ物を体いっぱいに取り込むことは出来たとしても、そこから先、その食べ物が私たちの血となり肉となるかどうかまでは、人間の力は及びません。やはり、私たち人間は、この天地にいっぱい満ちている恩恵を受けることなしには、一時も生きてはいられない存在なのだと思います。
このように考えると、毎日の食事に対しても、また少し違った態度で向き合えるのではないでしょうか? 食べ物を口に運ぶ時、それはただ栄養素を飲み込んでいるのではなくて、この世界にいっぱい満ちている天地の神様の恩恵をも一緒に飲み込ませていただいているのだ。そのような気持ちになって、健康な体にならせていただきたいものだなぁ、と私はしみじみと思うのです。